昔、大変釣り好きな村人が音羽池でよく釣りをしたが、ある昼、一人の僧が訪れ、魚は池を守るものなので、むやみに釣りをしないよう、特に大鯰を釣るのはやめるよう告げた。村人は素直になるほどと思い、僧を招いて昼の粟飯を御馳走した。
ところが、二日の間は釣りを我慢した村人だったが、三日目にはどうにも我慢ならず、少しなら、と音羽池に釣りに行った。これが大漁な上に見たこともない大鯰が釣れ、僧の言葉も忘れて大喜びで持ち帰り、これを捌いた。するとどうしたことか、大鯰の腹の中からは僧に振舞った粟飯が出てきたのだった。
しかし、村人は鯰が僧になるわけもないと思い、またこの大鯰の美味しさが忘れられず、再び音羽池に釣りに行った。そしてまた大きな鯰が針にかかったのだが、糸はどんどん引き込まれ、ついには村人も池の底深くに吸い込まれてしまったという。
その後、池の縁に行った人が、「オトボーさらば」という妖しげな声を聞くようになった。それで人々は池を「オトボー池」とも呼び恐れ、殺生をすることもなくなり守ったので、いつしかその怪しい声も聞かれなくなったという。池は今はもう住宅になり、周りの田も特別変わりない所になっている。
毒流しなどの危機にある沢の魚が僧となって止めに来る、岩魚の怪などと言われる話に近くなっているが、全体的には物言う魚のひとつだろう。音羽の池は話の通りにもうないが、久保と箕輪町木ノ下の境、国道近くにあったらしい。ということは天竜川の割とすぐ脇だ。
類話ではより典型に近く、釣られていく大鯰に向かって池から「おとぼう さらばよ」と声がかかるという筋であるものがあり、またこれが「音坊」と書かれもする。おそらく「おとぼう」は乙坊で、乙姫などと同じく水のヌシを示す名であったと思う。これはそれを踏襲した例だろう。
一方、この「おとぼう(音坊)」が「大鯰を捕えた者」の名になっている事例というのもままあり、近くでは諏訪湖にその話がある(「音坊鯰」)。音羽の池のように本来鯰(水のヌシ)の名が音坊で、そこから転じた話型と思われるが、比較して見ておかれたい。
さて、この音羽の池で最も注目される点は、その物言う魚の筋であるというところよりも、この池の名前そのものにある。音羽(おとわ)という名もまた、水にまつわる存在であることを暗示する名なのじゃないかと思うのだが、ここでは実際「おとぼう」の名と並んでいるのだ。
「おとわ」のより端的な事例としては、佐渡島に「おとわ池」という話があり、乙和(おとわ)という娘が池のヌシに見込まれ、その嫁として池に入る、という筋となる。これが乙名となっているのがそもそも「おとわ」がそういう名なのじゃないか、と思った発端でもある。
もしそうなら、例えば、甲州積翠寺の「おたあ明神」なども「おとわ」のことじゃないか、と考えもできる。越後にはまた「おわ」という水に引かれる娘の名も見え、そのあたりも同系かもしれない。