お膳岩

長野県伊那市

昔の勝間村、小原峠の、古道の下に大きな岩があった。
その岩には、白いすじが上から下にかけてあり、遠くから見ると布を引いたように見えるので、布引岩といった。
この岩は、お膳岩または、大岩ともいわれていた。
里人が、お膳や、おわんが必要なときは、この岩の前でお願いをすると、その人数だけの膳やわんが、その翌日岩の上にならんでいて、まことに重宝であった。
用がすめば、必ず元どおりに返していた。
ところが、あるとき不心得ものがいて、お膳を一つ返さなかった。それからは、誰がおねがいをしても、貸してくれなくなってしまったという。

『高遠町誌 下巻』より

地元ではもっぱらにお膳岩の名のほうで呼ぶようだ。今も、高遠勝間の国道白山トンネル入り口脇にある。大岩なので、膳椀が上に並んだというより前に並んだということだと思うが。面白いことに、現地の案内看板には「岩が貸してくれた、貸してくれなくなった」というニュアンスで説明されている。

さて、特に変哲もなさそうなこの話を引いた理由は、その情景にある。この稿は写真を載せないので伝わりにくいかと思うが、この大岩は、まるで後背の山への門のような格好でそびえているのだ。

椀貸しの話には、淵や塚でなく山中の隠れ里からそれがもたらされるようなものもある。山中異界への大岩などの門が開いて、その富に手が届くようになる、という筋がままあるのだ。この勝間のお膳岩はまさにそのような印象の岩だ。布引岩とも呼ばれるその岩肌にも、その印象があるかもしれない。