程野の山上に「お池」があるが、ずっと下に「けぶった池」という池の跡がある。昔は水がなみなみとあり、池の神様も祀られていた。そこに最初に半平という男が住み着き、焼き畑を行った。池のおかげか年々豊作が続いたという。
また、池は畑作の手伝いに来てくれた人たちに昼など振る舞うのに必要な膳椀を貸してくれもした。お願いすれば池の中からその数の膳椀が浮いてきたのだという。ところが、そのうちに半平は椀をひとつ壊してしまい、それをそのまま返そうとした。
これが、何日たってもその壊れた椀だけが沈まない。半平はこれに怒って、池の周りの葦に火をつけた。すると、池の中から赤いこん袋を担いだ女の人が現れ「けぶったい、けぶったい」と言って、程野の山の上へ登り、「お池」の中に消えてしまった。
それで元の池を「けぶった池」と呼ぶようになったが、この主を失って、池は水が涸れていってしまったという。そして、半平の畑も作物が実らなくなってしまったそうな。
「烟た池の女」の話の異伝。岩崎清美『伊那の伝説』にある話が、畑を開こうと開墾し、落ち葉などに火をつけた結果、池の主の女が「烟たい」と上の御池に去った、というほどのものだったのに対し、こちらの話は何とも面白い筋書きになっている。
ヌシのいる池がまた膳椀を貸す池だったというのはよくあることなので良いが、その結末が、返却を受け付けないのに怒った借りた人間側が怒って火をつけるというのは実に型破りな話だ。そして、その結果ヌシが移ったのだという。
一般的な筋ならば、壊して返したことに怒った貸した側のヌシが膳椀を貸さなくなる、さらには池を移してしまう、という次第となるものだが、確かにそれを踏襲したら「けぶったい」という場面は入らなくなるだろう。物語の出来上がる過程が見えるような事例だ。