昔和田村に猟師があり、池口山に登り夜明けを待っていたが、連れの猟犬が大変に吠え、叱ってもますます暴れ狂う。果てには噛みつきそうに暴れるので、猟師は気が狂ったかと早合点し、山刀で犬の首を刎ねてしまった。
すると犬の頭は宙を飛んで、彼方の松の木の下枝に飛びついた。と、見る間に地響きをたて何かが落ち、よく見てみると、それは丈余の大蛇の首に猟犬の頭だけが喰いつき噛み殺しているのだった。
猟師は犬の忠義に感じて詫び、涙を流してその死骸を懇ろに葬った。後、山の麓に社を建て、神に祀って犬神様と崇めている。
飯田といっても遠山郷のほうで、遠山川に池口川が流入する大島地区のあたりに犬神様はあるらしい(「ランカン橋」近くというが、正確な位置などは不明。池口川を国道152号線が渡る橋のたもと崖上に小さな鳥居が見えるが、それか)。
忠義な犬という話型の典型で(「変った定紋」など)、特に変わったところはない。というよりも、最もシンプルな事例といえるだろう。ただ「犬神」という名を持ち出してまで祀った、というのは大げさな事例ではある。
ところで、各地で大同小異に語られるこの話だが、なぜ犬を殺すのか、という点がやはり気にかかる。そういうものだ、と言えばそれまでなのだが、いまひとつ理由が弱い感じも拭えない。
この点、遠く四国は阿波の話になるが、その理由が語られている事例がある(「赤松の犬の墓」)。そもそも、猟師は「千匹の猟が達成されるなら、お前に俺を喰わせてやる」という契約の下、山犬の子を猟犬とする、というのだ。その千匹目が来たのではないかと怖れ、猟師は吠える犬を殺す、という筋だ。
これは格段に説得力のある話だろう。そういった契約形態を語る話が東のほうにもあったものかどうかはわからないが、そういった側面は見られないかと気にかけておくべきかと思う。