昔、細野の三軒のおとうさんたちが、山をいくつも越えたところへやぶ切りをしに行った。その道すがら、川原近くに来て、トントンカラリと耳慣れぬ音を聞いた。音は川原の大岩の影から聞こえてくる。おとうさんたちは、なんだろうと岩山へ登ってみた。
すると、見たこともないような美しい衣装のお姫様が機を織っているのだった。三人はやぶ切りのことも忘れ、陽が沈むまでお姫様に見とれてしまった。そして、それから毎日、三人そろってやぶ切りに行くといっては家を出、機を織るお姫様を見て暮すようになってしまった。
井戸端の話で、お互いのおとうさんたちの様子がおかしなことを知ったおかあさんたちは、心配になってあとをつけてみることにした。こうしておかあさんたちはおとうさんたちがやぶ切りにも行かずに、お姫様の機織りに見とれているのを目にし、驚くやら腹が立つやらでおさまらない。
こんなところにお姫様などいるはずない、おとうさんたちは狐に化かされているのだ、と、三人のおかあさんたちは、岩山のてっぺんから、でっかい石を転がした。機織りの道具と一緒に、お姫様は川の中へまくれていき、おとうさんたちはびっくりして慌てて山へ登って行った。
これよりは、おとうさんたちは一生懸命山仕事に励むようになったそうな。お姫様が懐に持っていた鏡は、本村の若宮へ上ったとも、小縄と柿島の間の弁天島に上ったともいい、祀られているという。吉沢の川原には松の生えた岩が今もあり、絹機石と呼ばれている。
詳細は不明だが、絹織石は今もあるようだ。硯島地区内というから、雨畑ダムのほうか。そこから、薬袋(みない)~小縄という間の話となる。都留文科大学民俗学研究会『雨畑の民俗』によると、機織り姫に見とれて仕事に行けないので、その機を切ると姫は徐々に消えてしまった、などとも語られたようだ。
また、その鏡は本村の下のほうの観音さんにあるともいう。さらに、その時の筬がセンギョジガタケジマという橋の観音さんに祀ってあった、などともある。この流域のいろいろの信仰をつなぐ伝説であったようでもある。
ともあれ、引いた話は、機織り姫が落石で死んでしまう(石に入ってしまう)という話は各所あるのだが、その原因が見とれていた旦那たちに怒り心頭したおかみさんたちの所業だった、と語る痛快な事例と言える。
駿河の寸又峡にも突然の落石の下敷きになってしまう機織り娘の話などあるが、文字通り突然の落石であり、その原因などが語られるのでもない(「はたご石」)。一夜の神を待つ機織り娘という側面とかかわるところのある話かと思われるが、してみると早川のおかみさんたちの嫉妬、という筋は興味深い。
ところで、甲州ということでいえば、こういった突然の落石の下敷きになってしまう存在として、機織り姫だけでなく早乙女がまたそうである、という事例が韮崎のほうにある(「早乙女石」)。この二者は日招き長者の話に双方出てくるという面子でもあり、併せ考えるのに必須となる話だろう。