清春村地内から馬に乗った一本足の怪物が現れ、一跳びに菅原村の古町まで飛んだ。次に鳳来村の石尊山まで跳んだが、そこにはより強い魔物がおり、負けてしまったので、一人の姫を捕えて南田まで退いた。そして、大きな石に足跡一つ残して最初降りた古町に姿を消したという。
その足跡の池が弁天池で、不思議な事が度々起こった。願うと、田植えに足りない菅笠を浮かして貸してくれたり、集会のときに足りない椀を二十人分貸してくれたりしたのだ。しかし、その椀を一つ失ったまま返したので、それからは何を願っても叶えてくれなくなってしまったそうな。
現在の北杜市白州町白須付近の話だと思うが、弁天池の所在など詳細は全く分からない。この怪物の正体も、上に書かれた以外のことは分からない。弁天と祀られたのが怪物なのか怪物に捕えられた姫なのかも不明だが、いずれにしても膳椀を貸すような竜蛇的な何ものかではあるだろう。
不明なところの多い話だが、しかしきわめて興味深いものでもある。甲州といえば山梨岡神社の夔(とみなされた)という一本足の神がおわすところである、という点を差し引いても、なお二つばかり気になるところがある。
まず一本足という点だが、有名な一本だたらなどの妖怪は必ずしも水にかかわる存在ではない。それが一本足の怪が水の神となっている事例として、遠州龍山の話がある(「大平の一本足」)。まず、これと通じる部分があるかどうかというのが問題となるだろう。
もう一点はより微妙なことだが、弁天池が膳椀に先んじて田植えの菅笠を貸しているところが注目される。水底の竜宮は、人々に贈る富の一つとして、その田植えを助ける、ということもする。具体的には、鼻取り・田植え地蔵のようなことをする童子や早乙女が現れる。
有名なのは遠州引佐の竜宮小僧で、田植えを手伝うなどするが、そこまで行く手前、南巨摩郡の早川にも、そうであったのじゃないか、と思われる河童娘の話がある(「河童娘」:引佐の話もこちらから辿られたい)。
そういった話が竜宮というだけでなく、弁天の神助としてあるのか、というなら、信州佐久のほうに鼻取り小僧が弁天堂から来た、という話がある(「弁天堂と鼻取り小僧」)。
もし、この一本足の怪物の弁天池が田植えの菅笠を貸したというのが、それらに類することとして語られたものなら、椀貸し伝説と鼻取り伝説は近しいところもある、ということになるかもしれない。