谷根に犀が淵があり、犀がいるといわれていたが、見たものはなかった。ある時、行興寺の赤牛がとび出してはびしょ濡れで帰るということが続いた。不思議に思った行光がつけてみると、赤牛は谷根川を遡って犀が淵へ行くのだった。
そして、赤牛が鳴くと、淵の水が湧き上がり、犀が現れ、牛と犀がいつ勝負がつくともしれぬ闘いをするのだった。行光は赤牛を応援し、これに力を得てついに赤牛は犀を殺したが、赤牛も傷だらけで角も折れ、その場で死んだという。
谷根に現在犀が淵があるのかどうかは不明。「犀(さい)」が日本で語られるのかというと、これは日光東照宮にも水犀といって甲羅と角のある牛のような獣の像がある(火防の水霊だそうな)。信州に行けば犀竜の犀川もある。
これが一方の(竜蛇以外の)水のヌシの代表格である牛と闘うという興味深い話だ。越後には牛を水のヌシとする話がよくあり、竜蛇の変化であることもままある(「塩谷の池の主」)。
さらに興味深い点として、それら牛のヌシが、山古志のほうで盛んだったという闘牛(角突き)と関係があるかもしれない、というのもある(「池の平の主」)。この犀と牛の闘いはそれを彷彿とさせるものだ。
肝心の行興寺という寺のことも全く分からないので、ここでこれ以上伝の意味を考えるのも難しいが、ここにこういった話があるというのは色々なところから参照されることになるかもしれない。