舟つなぎ松

神奈川県伊勢原市

上平間地内の遠延寺に大きな松があり、昔は小鍋島から大山街道が舟でここを渡ってきてその松につながれた。だから舟つなぎ松と呼ばれた。後、その渡しを道路とすべく工事が始まった。ところが、昼間運ばれた土が夜間に皆流されて工事が進まず困ったことになった。

それが、夜になると白いへびが出てきて尾を振って土を水に流してしまうということなのだった。へびを殺すと祟るというので手も出せなかったが、そこへ或る美人が現れ、自分がへびを取って道路ができるようにするから、と言って入定をした。

三週間ほどで鐘の音が途絶え、婦人は亡くなったが、へびは出なくなって工事は進み、ついには道路が完成した。舟つなぎ松は用がなくなったが、昭和の世までは残っていた。今は寒川線として舗装もできて重要な道路となっている。

『郷土の昔ばなし』
(県央福祉事務所:昭46)より要約

そちらの話では道路(堤)を壊す蛇を殺して祟られた夫婦が入定したのが沼目の入定塚だとなっていたが、このように蛇を鎮めた巫女のような女が入定したのだ、という話もある。双方読み比べてみると、大筋は似ているものの、大きく異なる構成の話になっているといえるだろう。

相模の弁天というと江の島弁天がそもそも悪竜を抱き鎮めた存在なので、その影響などがあろうかとも思うが、より人柱譚の様相が強い話であるともいえる(しかし、典型的な人柱の話ともまた異なる)。