川の上流一本松の北にあたり本村から矢畑に通じる里道があって、今は小さな石橋が架っている。昔々甲村のおせんといった少女が、乙村の某の許へ嫁入った。黄道吉日をえらび新婦は盛装し多くの提燈に護られて我が家を出た。親族縁者皆微酔を帯び笑いさざめく中に新婦は嬉しきや羞かしきや口を結びて黙々と歩を運び行き行きて川の畔に出でし時、不意に橋上からざんぶりとばかり飛び込んでしまった。人々あわやと驚いて名を呼べど水火因も消えて答えるものはただ暗夜の水のせせらぎばかり。これからこの川を千ノ川と名づけ、嫁女は忌みて決してこの橋を渡らぬならわしとなった。(『茅ヶ崎郷土史』)
千ノ川(ちの川)はその先であるから茅ヶ崎というといわれるように、土地の名の由来ともなる川だが、そこにこのような一種の縁切り橋がある。共同体外のものを土地の神霊がはじくということを語ったものと思われる、このような花嫁行列が避ける橋は地域にたくさんある。
しかし、中でもこの千ノ川の石橋の話は竜蛇の関与が疑われるという点で注目されるものだ。話には出ていないが「そこを渡ると花嫁が竜蛇に見染められる」ということなのだろう。
それは嫁の名が「おせん」であるところに表れている可能性がある。神奈川県内では、川崎市宮前区の「有馬の影取り池」の大蛇に吸い込まれてしまったお大尽の娘の名がまた「おせん」であった。
そしてその名は武相に限らず、あちこちで竜蛇の淵・椀貸しの淵の話に登場する名前なのだ(「千が窪の蛇」などから)。どういった意味でそうなるのか現状はっきりしないが、そのようなことで千ノ川の竜蛇のヌシの関与が考えられるのだ。