大蛇の話 神奈川県茅ヶ崎市 大正の大地震の頃、中島の浄林寺に大きな蛇がいて、大勢の人が見ていた。その大蛇が柳島の方に行ったから、近くに行くなとよく言われた。大蛇の通ったところには道がついていて、藷畑(いもばたけ)や葦場は草がなびいて、蛇が通った跡がわかった。結構太かったという。二尺ぐらい首を立てていたという。浄林寺のだぶ(水がだぶだぶしている沼のようなところ)にいた蛇のことである。大正十年ごろは町内の向こう側(川の方)は深い葦山(よしやま)で恐ろしくて歩けなかった。(永野氏談) 樋田豊宏『茅ヶ崎の民話』より原文 中島・柳島あたりは相模川の最下流部左岸であり、かつては半ば海であったか、下ってもしばらくは広大な葦原だったろう所。そこにこういった野分だろう現象を大蛇の移動に見立てるという、ある意味大蛇の話で最も多く語られる一話がある。 少し内に入って、矢畑のほうにも、今度は田の稲を倒していったという大蛇の話がある(「蛇塚」)。こちらはどうも藁蛇の移動を言っているような節もあり、面白い。 なお、茅ケ崎の事例ではその側面が脱落しているが、こういった大蛇の移動の話には、それに行き会った結果(祟られ)見た人が病み、死んでしまう、という話の流れになるものも多い。綾瀬の話など参照されたい(「オイノクボの大蛇」)。 ツイート