正安元年、内海光善という百姓が海で漁をしていて、朽木を網にかけた。用も立たない節ばかりの木だったので、光善は捨てたが、場所を変えるとまた網にかかる。幾度捨てても網にかかるので、これは不思議と朽木を持ち帰ることにした。
ところが、帰ると娘が俄かに狂い、飛び回った挙句に海に飛び出し、海上を走ること陸を駆けるがごとく、四五十町も沖合に走り出て消えた。呆然とした光善だが、小舟を用意していると、鉄砲玉のように娘が又海上を走り戻ってきて、血走った目で口走った。
汝が得た朽木こそ、房州清澄の閼伽井に七百年の星霜を経し霊木である。早々寺を建てて我を供養せよ、という。娘の飛行にその霊力を見た光善は、早速村の人々と語らい、堂を建立して朽木を安置した。
すると、紫雲が棚引き堂を覆い、これがかき消えると、朽木が三寸九分の虚空蔵菩薩像となっていた。畏れ又謝して長くこの堂の本尊と崇めたという。この堂こそ即ち今の能満寺なのである。