四百年ほど昔、妻を亡くした男が、再婚はしないと誓ったが、四十九日もせぬうちに後添えを娶ってしまった。するとこの新妻の顔が大蛇となり、男を呑もうと襲いかかるのだった。これは誓いを破った仏罰と、男は念仏を唱えながら逃げ帰り、亡き妻の冥福を祈り続けた。
これを聞いた村の古老が、軒先にショウブとモチ草、カヤをあげておけば大蛇は来ない、と教えたので、村人は皆そうした。六日目に大蛇が現れたが、このカヤなどの束を見て残念そうに去って行った。これより、生麦村では茅で大蛇を作り、家の周りを担ぎまわって厄の退散を祈願するようになった。
また、道念稲荷のお告げで茅で大蛇を作るようになったともいうが、これを建立した道念和尚は大蛇が化身した身延の奥七面山で修業した僧だったという。ともかく、最初に行われたのが六月六日だったので、毎年この日に「蛇も蚊も出たけ、日よりの雨け……」と叫びながら茅蛇を担ぎまわり祈るのである。
生麦の「蛇も蚊も(じゃもかも)」の由来。いまひとつ繋がっているのだかいないのだか分らない話で、話のどこが厄に当たるのだか、蛇が村を守護するほうに回っているのはなぜか、などよくわからい。
無理して解釈すれば、先妻の怨念が厄で、後妻が大蛇となってそれを受けて去った、ととれなくもないが、ちょっとそういった構成の話は他に見ない。おそらくはあまり伝説のほうは重要ではなく、藁茅で蛇を作って厄を防ぐ風習が濃くあったことそのものに注目すればよいのだと思う。
実際、もう少し内に入った北寺尾のほうには、道切りの縄を蛇に作った話が語られる(「蟠まる魔除の大蛇」)。房州武州の藁蛇好みのひとつであり、それらはどこも説明伝説をうまく語ろうという感じではない。