むかし。
みずほ(西多摩郡瑞穂町)に、じえもんという人がいました。
ある日山へ草刈りに行きましたがあまり暑いので、近くの狭山ガ池にとびこんで、水あびをしました。
すると、どこからか、大じゃが現れてじえもんをぐるぐるまきにまいてしまいました。
じえもんはおどろいて、大じゃのどうなかを、口でくいちぎって逃げてきました。
くいちぎられた大じゃから、三日三晩血が流れて、川になりました。
人々はその川を、「じゃぼり川」と呼びました。
「じゃぼり川」という名がなまって、いつのころからか、「残堀(ざんぼり)川」と呼ばれるようになったといわれています。
立川市の昔話集から引いたが、舞台は北西側の瑞穂町は狭山池となる(所沢市の狭山湖ではない)。瑞穂町でまとめた資料などは未見。広く語られた話のようで、このように立川の昔話にあったり、埼玉側の入間の市史にも採録されている。
狭山池は当時「筥ノ池」と呼ばれていたという。大蛇の血が流れ、それが「じゃぼり川」となって流れ出たので池は小さくなってしまったという筋が全体となるようだ。ゆえに蛇堀川と書いたという話になっている(ちなみに「じえもん」は次右衛門と書く・瑞穂町のサイトより)。
同瑞穂町サイトによると、これは「池の水を玉川上水の助水としたことを反映して生まれました」とのことで、土地では重要な伝説であるようで、狭山池畔の公園には「蛇喰い次右衛門像」なる大蛇に巻きつかれた次右衛門の石像もある。
なお、神奈川県海老名市には、「蛇っ食い嘉衛門」というこれまた大蛇を退治し蛇の群れと闘った「剛胆な村人」の話がある。そちら嘉衛門の父を治衛門といい、そのタイトルといい、どうも狭山池のこの話と無関係と思われない。