武者小路さんの池は神明様の池で、鬱蒼としていた。近所のおじいさんが近くの田んぼで草刈りをしていて、昼寝をしていると、大松の上から大いびきが聞こえる。おじいさんがそれで目を覚まして見上げると、大ざるくらいの頭をした大蛇が松の木の枝で大いびきをかいていた。
おじいさんは飛んで帰ってきたが、一週間もたたないうちに亡くなった。明治の末ごろのことだそうだ。あそこには大蛇がいるというので一人で行けるものではなかった。池の上手は茅畑だったが、夏に自動車のタイヤくらいの太さの跡がずーっとついていたこともあった。大蛇がのたくった跡だと言われた。
また、若葉町の入間川の橋のところを「ぬしの尻」というが、神明様の池の主、大蛇の尻尾にあたるからそういうという。頭が神明様の池で。(「ぬしの尻」は「西の尻」だと伝える人もいる)
東つつじヶ丘の人が若葉町の神明さんの池のことを語ったもの。武者小路実篤が晩年暮らしたところが記念館になっていて池があるが、その池はそもそも隣の神明さん(現・滝坂皇大神宮)の池であった、ということでその池のヌシの大蛇の伝がある。
入間川は下流の町名と違って「いるま」と読むようだが、直接神明さんの池とは繋がっていない。現状その「ぬしの尻」と呼ばれた橋付近がどの橋付近か分からないのだが、土地の区画を蛇になぞらえていた所のようだ、という話ではある。
というのも、隣の西つつじヶ丘のほうでも、大蛇が地域内を這って回ったといい(「弁天池の大蛇」)、ポイントではなく、線・面で大蛇の存在を語るところが(形は違うが)気になるのだ。今のところ関係するような行事があった、という話は知らないのだけれど。