姥石の話

千葉県富津市

昔、湊川の川上の関に大きな姥が住んでいた。姥は米や麦を食うことを知らず、猿たちに木の実を集めさせて、関の大臼でゴロゴロ粉にして団子を作って食べていた。また、姥は中沼の水が好きで、良くその水を飲んでいた。ところがこれに中沼のヌシが怒った。

自分の住む沼の水を姥のような体の大きなものに飲まれてはたまらない、いいかげんにしてくれ、と。姥は水は天からも降るし、地からも湧く、と言い返し、とうとうケンカになってしまった。毎日毎日姥と中沼のヌシの水争いが続くので、近くのモグラや鹿は気が気ではなかった。

動物たちの相談の結果、モグラが代表に選ばれて、ケンカのもとである中沼の土手に穴をあけて水を流してしまった。こうして関の里は静かになった。しかし、しばらくして姥は面白くなくなってしまい、話し相手が欲しい、と独り言をいった。

するとトンビがこれを聞いて同意を示し、常陸の筑波も、野州の二荒も夫婦もんだ、姥も一人じゃ淋しかろうといった。独り言を聞かれた姥はすっかり怒って、石臼をたもとに入れると、話し相手の大男を捜して関を後にしてしまった。

その時歩き出した姥の片方の足が関で、もう片方が吉野。次の足が人見・木更津であるという。また、慌てていたので石臼を落としてしまい、これが関の石臼なのだそうな。

『富津市史 通史』より要約

巨人伝説はダイダラボッチをはじめとする「大男」の話がもっぱらにたくさん語られるが、その影にこのような「大姥」の話もある。これはヒメ─ヒコの祖神の一側面であるとともに、山姥の一側面でもある。

山姥は山中糸を繰ることから機織姫とつながっているが、一方このように石臼で木の実を擂っていることがままあり、ここではより古い生活形態につながる存在であることが暗示されている。この話でも「米や麦を食うことを知らない」と強調されている。石臼はまた石皿であり、陰陽石の陰石だ。石棒に対応する太古の母神のしるしである。余談だが、陽根を示す石棒が一方で「雷さまのバチ」として神体とされているケースがあるのに対応して、「雷は、空の婆さんが臼をひく音」だという土地もある(鹿島郡中能登町)。

もっとも、この姥石は何かの礎石のようであり(現存)、関所があってその石だったとも言われた。関から咳ととり、おなじみの咳の婆様の話ともなっているようだ。柳田国男はそちらをとって、この関の姥石を紹介していた(『日本の伝説』など)。

ところで、そのような「ダイダラボッチの妻」である大姥に「常陸の筑波も、野州の二荒も夫婦もんだ」とトンビがいっている所が見逃せない所だろう。双方夫婦の山だが、そこには巨人の祖神の夫婦がいたものだと自然に考えられていたことが分かる。