千年の米 埼玉県北葛飾郡杉戸町 ずっと昔、田宮村大字佐左衛門の八幡神社境内の浅間神社の假山(つきやま)に大蛇がいた。浅間石祠を七巻して、賽米を食べていたので、社守が御幣を示して、神様のお米を食べるものではない、お前には千年に一度、別に賽米を供えてやるから、と諭した。 すると大蛇は千年に一度というのがそんなに長いことではないと思って承諾した。それから蛇は姿を見せないが、話を知る土地の古老は、もし現れたらいけないと、時折假山のあたりにお米をこぼして置いているという。 藤沢衛彦『日本伝説叢書 北武蔵の巻』(日本伝説叢書刊行会・大正8)より要約 NDL 杉戸町佐左ヱ門に鎮座される八幡香取神社のことと思われる。今も富士塚はあるようだ。社守の感じではその浅間さんが蛇なのかどうか判然としないが、一応「浅間の蛇」の一例としたい(「浅間社のぬし」なども参照)。 また、タイトルや話の大筋からは「千年の証文」のような印象も受ける。茨城県になるが、猿島郡境町のほうに証文の要素を外した「蛇がいなくなる話」があり、また、十を千とするのを米に書いてやった、という話があり、そちらから順々に変質していった一編、という気がするのだ。 もう少し先に行くと、飯沼の大蛇の千年の証文の典型話が語られるということもあり(「だまされた大蛇」)、地域的にはそういう流れがあっておかしくない配置になってもいる。 ツイート