がまの石

埼玉県児玉郡美里町

川輪の東山の斜面に大きな岩石があって、ガマの肌の様なので「がまの石」と呼ばれている。夜泣き石とかうなり石などとも呼ばれるが、その理由は定かではない。この石には次のような伝説がある。

昔、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途上ここを通った際、橋のたもとで泣いている女がいた。田村麻呂が訳を尋ねると、女は、自分は近くの池のガマなのだが、十条河原の池の大蛇がやってきて、仲間を食べてしまうので生きた心地がしないのだという。そして、田村麻呂に大蛇を退治してくれないか、と頼んだ。

田村麻呂はこれを気の毒に思い、承諾した。すると、女の姿は消え、あとには大きなガマの形の石があったという。その夜、田村麻呂の夢枕に弁天さまが立ち、十条河原に行ったら水を増やす赤い玉と、水を引かす白い玉があるから、間違えず白い玉を大蛇の池に投げ入れよ、とお告げがあった。

田村麻呂は感謝しその通りにし、たちまちに池の水を引かせると、大蛇が現れ、田村麻呂は剣をもってこれを打ち殺した。大蛇の骨は高柳の骨波田にうめたといわれる。

児玉郡・本庄市郷土民話編集委員会
『児玉郡・本庄市のむかしばなし』より要約

細かなところを見れば、白玉が潮干珠のようであったり、赤城でも十二天でもなく弁天さんが加護をもたらしたり、というところはあるが、大同小異の内といえるだろう(近くには北向神社もあるのだが)。やはり、違いは「がま」の一点にある。