昔この地を治めていた藤原長勝の館は大蛇ヶ淵(おろちがふち)という天然の要害に守られていた。長勝はこの淵を田にしようとしたが、淵には頭が彼方にあって見えぬという「首無し(かしらなし)」と呼ばれる大蛇がおり、その怒りにふれて工事は失敗した。
そこで長勝が家宝の弘法大師の筆による不動明王にお願いをすると、夢枕に老人が立ち二本の矢を授けてくれ、これで大蛇の両眼を射よ、と告げ消えた。起きると夢の矢二本があった。工事が再開され、また首無し大蛇が現れた。長勝は不動明王を念じながら神授の矢を放った。
しかし、一本は見事に片目を射抜いたが、二本目は外れてしまった。もはやこれまでと思った時、白衣をまとった若者が現れ、格闘の末に大蛇の首を刎ねた。その若者は不動明王に似ていたという。
こうして長勝の手柄で大蛇ヶ淵は水田となり、皆は長勝を田面長者と呼んだ。田に残った沼は首無しと呼ばれた。大蛇の胴は針ヶ谷の胴山(堂山)に流れ着き、首は下流の長勝の館の裏で発見された。そこで長勝は百人の僧を集めて供養し、首弁天(かしらべんてん)として祀った。
郡司であったという藤原長勝は平安末ごろの土地の長者だったという伝説の人だが、志木にはちなむ土地の名などもある。館と伝の淵は志木第三小学校あたりだったそうな。弁天さんは館氷川神社に合祀されたものと思われる。
土地は柳瀬川のほとりになるが、これをさかのぼると(といっても徒歩30分くらいだが)、新座市の大和田のこれまた頭の見えぬ頭無の大蛇がいたという伝説の地となる。そちらでも郡司長勝が大蛇を討伐したというので、元は同じ話かもしれない。
そして、その大和田の頭無(かしらなし・地名)という所は、所沢の滝之城の首を刎ねられた大蛇が逃げてきた死んだところともいうのだ(「滝之城の大蛇」)。滝之城の方で、城が大蛇に守られていたとも、城兵が大蛇を討伐したともいうのは、この長勝の話が混同しているのじゃないか、とも思える。
また、新座と志木の伝が柳瀬川沿いに少し離れてあるというのも覚えておきたい。「頭無」という名は、水源の不明な川を呼んだ、という説もあり、柳瀬川そのものが頭無川だった、という可能性もなくはない。