水富の笹井にある「タケが淵」には、昔からさまざまな伝説があります。
淵のまわりにはケヤキや雑木が生いしげり、昼でも暗くぶっそうなところでした。それに淵は深くよどみ、人々はあまり近づきませんでした。
あるとき、旅のオタケという瞽女ごぜさんがあやまって淵に落ちてしまいました。その後、この淵を「タケが淵」と呼ぶようになったそうです。
また一説には、オタケという娘さんが村の水不足の難をすくうために人柱となって「オタケ大日如来水神宮だいにちにょらいすいじんぐう」となり、雨乞あまごいの神さまとなったというお話です。
そしてもう一説は、淵には「タケ坊」という河童かっぱがいて、井草いぐさ(川島町)のケサ坊河童と久米くめ(所沢市)のまんだら河童とたいへんに仲がよくて、旅をしたり、自慢話をしていたそうです。それで、近郷近在では三大河童として有名だったそうです。
タケ坊河童は、ときどき人里にあらわれいたずらをしては、こまらせていました。それでも、すぐに見やぶられ退散し、またすぐ次のいたずらを考えていたということです。
(広報さやま平成8年6月10日号より)
タケが淵(竹が淵)は今もあり、脇には弁財天水神宮が現存する。引いたように、三つの伝があるようだが、いずれもその主役の名が淵の名である、という点は同じ。場合によっては一系の話だった可能性もある。
ともあれ、ここではこのうち、「オタケという瞽女」の話に注目しておきたい。これは別資料にその筋を詳しく語ったものがある(「白蛇おタケと河童の五郎」)。見沼の竜神「オタケ様」に関して、参考としたい。