十二神の霊場

埼玉県本庄市

坂上田村麿呂が、十条沼の大蛇を退治しようと戦ったが、なかなか退治できなかった。そこで将軍は目の先にそびえている十二天に兵を集め、七日七晩七本の大柱を立てて祈願した。その時、雲に乗って応援に来たのが、天のつく十二の神さまだったと伝えられる。

先日秋山の人たちが神社改修の道づくりをした時、神社の坂下から鰐口が発見された。これに「武州那賀郡十二天鰐口神主広瀬平左衛門尉行久求 広永三年(一三九五)六月十九日諸旦那等」とあり、反対側には梵字十二字が刻されてあった。

調べると、これは正しく天の付く十二の神を示す梵字だった。大同から五八〇年後に寄進された鰐口が、また五八〇年後の今に見つかったというのは、神がその歴史を開示したのだと思いたい。

田島三郎『児玉の民話と伝説・上巻』
(児玉町民話研究会)より要約

なお、十二神(十二神将)と十二天では違うのだが、どちらのことなのかは不明。七本の大柱を立てたというのも気になるが、何のことかはわからない(北辰か)。