竜の山引き

埼玉県飯能市

名栗村穴沢の鎌渕には竜が住んでいた。穴沢村には一人の美しい娘がおり、竜が娘に恋していたので、娘には竜の言葉がよくわかった。ある日、竜は娘に、山引きをするから手伝ってくれ、と申し出た。しかし娘は、このごろは機織が忙しいからだめよ、と断った。

村人たちは渕の主が山引きをするつもりと聞いて、なんとかならぬものだろうか、と娘に相談した。娘は、山の周囲にオサを立てればよい、と教え、皆はその通りに村中のオサを集めて山に立てたので、この時は無事に済んだのだという。

ところが、時が下って明治四十三年にとうとう山崩れの惨事が起こってしまった。竜神は沢の入り口を埋めて池を造ろうとしたのだが、必要な女の髪を村の老婆に頼んで借りたが長さが足りなかったのだという。

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』
(北辰図書出版)より要約

かつての入間郡名栗村穴沢の話で、今は飯能市上名栗の穴沢となる。名栗川(入間川)に北から注ぐ沢があるが、その小さな沢を上ったところが穴沢。この明治の災害は強く記憶されているもので、穴沢は全滅に近かったという。

ともあれ話自体がたいそう魅力的なものだ。竜の言葉がわかる娘がおり、「だめよ」と断ったというあたり、竜神の嫁という感じでもある。オサ(筬)というのはあの機織りの櫛状の道具だが、筬で山崩れを封じるというのも面白い(多くは鉄杭か逆杭)。