畠山重忠の母は三浦義明の娘とされるが、秩父の山間にはまた違った誕生伝説が語られている。
大血川太陽寺の開山鬚僧大師のもとに、見目麗しい婦人が訪ねてくるようになった。太陽寺は杣人でもめったに来ることのない山峡の寺だったが、やがて婦人は大師の種を宿した。
ところが、夫婦の契りを結んでも、女はその身上を明らかにせず、月満ちて出産の折には、七日の間私の姿を見てくださいますな、といい置いて、産屋に篭ってしまった。大師が待ちきれずに三日目にこれを覗くと、大蛇が子を産んでいるのであった。
大蛇は約束を破ったことを恨み、自分は信濃の諏訪湖の主である、生まれた子は人間の子ですから育ててください、と言い残して諏訪に去った。しかし、大師は不浄の子であるとして、赤子を大血川に捨ててしまった。これを見た姥が不憫に思って子を拾い上げ、畠山へ送り面倒を見たのだという。
この子が、畠山重忠であるのだそうな。姥は重忠の成長を見届け、故郷に戻ろうとしたが、途中日野の馬立で亡くなった。村人がこれを憐れみ、祠を建てて祀った。今も旧街道の路傍に姥神社の石宮がある。