見沼を去った主 埼玉県川口市 見沼が開発されて間もない頃、一人の車夫が空の人力車を引いての帰り道、突然目の前に現れた美しい女に「成田詣をするので千葉まで乗せてほしい」と頼まれた。車夫は快く女を乗せた。ところが、印旛沼の辺りに来たころ、急に車が軽くなったので、不思議に思って振り返ってみると、女の姿はなく、座席が濡れて青くさい匂いが漂っていた。さては見沼の大蛇が開発によって棲めなくなり、姿を変えて印旛沼に移ったのだろうと村人はうわさした。それ以来、見沼の大蛇を見た者はいないという。 『川口市史 民俗編』より このあたりの話はみな「見沼の主」で、わからなくなるので独自に題を付けた。舞台がどこか不明だが、川口市史から引いたので川口市としておく。ともかく、このようにして「見沼の竜神」は、干拓され住めなくなった見沼を去り、下総印旛沼へ移った、というのが民間での了解だった。 この点が重要で、この後今度は竜蛇が見沼に「帰ってくる」というモチーフの話が語られるようになるのだが、それはつまり上のようにして去った後、ということになり、印旛沼のほうから帰ってくることになるわけだ。これは「見沼弁天」の話を考える上で基本となる。 なお、無論これは弁天の遊行のモチーフでもある。というよりも、東京の豊玉のほうにこの話がよく見える(「三宝寺池に来た亀ヶ池の主」など)のは、もとをただせば見沼の話が気に入られたのじゃないかと思わなくもない。 ツイート