伊佐沼の大片貝

埼玉県川越市

伊佐沼は昔はもっと広く、中ほどには小さな島があった。島には薬師堂があり、行基作という像が本尊であったという。眼の病気に霊験があらたかであると知られ、近郷近在からの人が絶えなかった。そして、この沼には沼ができたときから棲んでいるという大片貝もいた。

ある時、大雨が続き沼があふれた。薬師堂のある小島はひとたまりもなく沈みかけたが、沈むどころかどんどん浮き上がっていくのだった。これは、沼の主である大片貝が小島の下にいて、薬師様を背負ってお守りしていたからであるという。

それで薬師堂は水に浸かったり流されたりすることはないのだそうな。薬師堂のある伊佐沼はその風景のすばらしさから「三芳野八景」の一つとしても数えられ、九十川の水源にもなっている。

池原昭治『川越の伝説』
(川越市教育委員会)より要約

中島、というより岬のようなものだったらしいが、この話の薬師堂は現在(関東には珍しいことに)伊佐沼薬師神社として祀られている。新編風土記にも、薬師堂が大水に浮き上がるという伝は紹介されている。それが池のヌシの大片貝(あわび)が背負っているからだというのだ。

薬師神社もそうだが、アワビが内陸でこのように淡水のヌシとなる伝説は北に多く、川越というと南に飛び地のように離れているとはいえる。同じ流れのものかどうかはわからないが。

もし、城を隠す霧に蜃気楼の貝のイメージが含まれているとしたら、つながりのある池沼に大片貝のヌシがいたという話は見逃せない。もし間に九穴の鮑なり八百比丘尼なりの話が挟まってくるようなことがあれば、相当に考えるべき筋ということになる。