見沼は遠い昔は「いもり沼」と呼ばれるほどいもりが沢山棲んでいた。
昔、この沼のほとりに父母のいない美しい娘が住んでいた。見沼をはさんで対立する豪族の息子同士が、同時にこの娘を恋して争った。結局、一人が勝利者になり、恋に敗れた若者は、口惜しさのあまり娘を盗み出し、大きな箱につめて見沼に投げ入れた。
翌日その箱を開けてみると、娘の死骸はなく、沢山のいもりがぞろぞろ出てきたので、若者は驚いて気絶してしまった。この話を聞いた里人は、娘は見沼の主の竜神の子であったろうと噂し合ったという。
二人の男が娘を取り合う、娘が死ぬことでその争いに幕が引かれる、というモチーフが、真間の手児奈このかた関東ではよく語られる。スケールは神々の争いから人の世のいざこざまで振幅を持つ、とみれば、日光赤城の神争いや、東北三湖伝説までもつなげて見ることができるかもしれない。
見沼の周辺には、虎女(相州大磯の虎御前とは別の)を巡る争いの強烈な話があるが、見沼そのものにもこういった話がある。虎女も見沼の竜女も、それが水神に仕える巫女だった、と見るならば、近い話であるといえる。
また、虎女の話と近しいものがあったのじゃないかとさらに思わせる例としては、殿様に輿入れするも周りの女にいじめ抜かれ自害する、という、上州に見える話(この主人公も「虎」であることがある)と近いものもある(「雨降り朝顔」)。