蛇が男になって娘に通い、娘は針に糸を通して刺し、あとをつけて正体を知った。蛇の入った石垣の穴から、菖蒲湯をたてて入られると子が出てしまう、と聞いて、娘は悔しく思って泣き、泣きはらして目が蛇の目となってしまった。
菖蒲湯に入ると蛇の子が盥いっぱいに出たが、目がなかった。娘は自分の目はなくなってもいいから子どもに目をくれ、といい、蛇には皆目がつくようになった。(『群馬県史 資料編27 民俗3』)
榛東村は山子田で採取された話という。伝説というよりは昔話で、途中までは無数に語られる針糸・立ち聞き型の蛇聟の話なのだが、特異な幕となっている。
ミミズと蛇が声と目を交換する昔話と近しいものか、ここでは生まれた蛇の子には目がないものとなっている。それが、人の娘から目玉・視力が与えられるのだ。蛇の子に目がないのは母が人であった故か。非常に難しい内容であるといえる。
ただ、蛇(弁天)を父とし、人の娘を母とし生まれた子(これは人)の視力が失われ、それが蛇(父)によって回復するという話は上総のほうに見える(「弁天様と子供」)。参照されたい。
また、これは蛇聟にはつきもののモチーフだが、菖蒲湯で蛇の子が下りるという点について、安中のほうの「ショウブ湯・ショウブ酒」の民俗をあげておく。これも参照されたい。