昔々大昔、人が住んでいない時、こんぴらさまのがけが、きじがん音と山づつきだったそうです。
そして中宿たんぼも、いそべたんぼも、すっかり水の底になって、ひろいひろい湖になっておりました。
その頃の事ですから、碓氷川も流れてはおりません。ところが長い間に山がだんだんくずれて、湖の水は流れ出て、今のようになりました。昔の人はそう思っていたものと見えて、「安中志略」とう本にかいてあります。
今のダム湖・碓氷湖のことではなく、安中駅の北東なる鷹之巣神社(これが金比羅宮だった)と、おそらく碓氷川対岸の高崎市との境(鼻高・「きじがん音」というのは不明)を結ぶ線で仕切られ湖となっていた、という大湖の伝説。この地から貝の化石が出る故にそう思われたのではないか、などともいう。
竜蛇も出てこず、人の住む前のこととして干拓事業の伝説でもないが、この地にこういった湖水伝説が連綿としていたことを示す事例として引いた。干拓事業の話としては、沼田に古い話があり(「利根の海の蛟」)、そちらから参照される。