赤堀家のヘビ子 群馬県太田市 道玄の娘が、あるとき、赤城へ遊びに行くといった。その後もちょくちょく遊びに行くようになった。その娘は、ヘビであったという。 あるとき、ムラ中の人が、赤飯をつくって、赤城の大沼まで送って行った。すると、お世話になったお礼をいって、大沼の真ん中で、娘の姿になって見せて沈んでいったという。それきり、その娘は姿を見せなかったという。 その家では、何代かに一人、ヘビ子ができるといわれている(大島) 『太田市史 通史編 民俗(下巻)』より 赤堀道元(文中「道玄」はママ)の娘が蛇になった、という話は色々にあるが、そもそもその家は蛇の娘を出す家だった、という注目すべき一話。これはその家の祖が蛇だった、ということを強調する筋であっただろう。多くの話は沼に入って蛇の姿になるが、ここでは「娘の姿になって見せて」いるほどだ。 このような話は「十六の娘」に見るように、道元が赤城の神に願って授かった娘が蛇になった、という筋の一種にも思えるが、代々にそのような娘が産まれたというと少々違った話になってくる。 願掛けという要素もなく、そもそも道元の娘は蛇だった、と語るものも少なくない(「蛇体の娘」)。赤堀の家の話としては、その祖が俵藤太と竜女との間にできた娘だという話がまずあり、間をつなぐようにこの蛇娘の筋があるといえるかもしれない。 ツイート