赤堀村の悲恋の千鳥姫

群馬県伊勢崎市

昔、赤堀村磯に天幕城があった。天ぱくの「ぱく」とは本来、天を翔ける巨鳥のことをいうが、難しい字なので幕と当てている。天幕城の立派な殿さまには一人の美しいお姫さまがおり、千鳥姫といった。しかし、姫は年頃になっても勧められる婿に首肯せず、両親は安心できなかった。

その姫のもとに、夜中に若い男が会いに来るようになった。男ぶりのよい若者は姫とお似合いで、二人は深い仲となり、家来たちの知るところとなった。そして知らされた殿さまの命で、家来は針に長い糸を付け、針を男の着物に刺し、その正体を探ろうとした。

朝になり、家来が糸を追うと、不思議なことに糸は城の板塀の細い節穴を抜け、わらび沢川を渡り、粕川まで続いていた。そして、その先は五目牛の洞山の穴の中に入っていた。家来が伺うと、穴からは苦しそうなうめき声が聞こえ、のぞくと大蛇が苦しんでいたのであった。

大蛇は自分は針の毒でもう死ぬが、千鳥姫は身ごもっているので、生まれる子を大事に育ててくれ、と言い息絶えた。そうはいっても、蛇の子を産ませるわけにはいかず、奥方は千鳥姫に菖蒲の根を飲ませた。すると、小蛇が桶いっぱいに出てきたという。

五目牛には今も牛石があるが、その後ろの山が洞山である(今は堂山と書く)。愛しい人が蛇精であった千鳥姫の悲恋は、千鳥橋の名に残っていたが、その土橋も今は県道の下になってしまった。千鳥橋の傍らにはソメイヨシノの古木が春にいっぱいの花をつけていた。

しの木弘明『東上州の昔話し』(桜井出版)より要約

磯町に天幕城址が今もあり、南に赤堀今井(赤堀城址)、さらに南粕川右岸に五目牛町がある(牛石も今もある)。つまり、この伝説の蛇は、一般の「赤堀道元の娘」が赤城小沼(北)を目指すのとは逆に南から来た、ということになる。

天幕城は赤堀城の支城であったが、赤堀氏が武家であった時代の話かどうかはわからない。赤堀道元の娘がより下って、赤堀家が造り酒屋となってからの話として多く語られることを思うと、城主の氏族が変わって以降の話のように思える。

あるいは、この千鳥姫の伝説が赤堀氏と別のところから持ち込まれ、これが赤堀氏の話に混入していった結果が蛇聟譚の道元の娘の話かもしれない。そういったヒントがここにはあるように思う。