殿様に懸想された道元の娘 群馬県桐生市 道元の娘は器量がよかったので、殿様から懸想された。それで、相談して、身代わりの者を沼に入って死んだということにして娘は湧丸(勢多郡黒保根村上田沢)の寺にあずけておいた。 殿様には、娘が沼の主なので赤城の小沼へどうしても行きたいといって、沼へ入ってしまったといって、ごまかしたという(勢多郡黒保根村板橋)。 『群馬県史 資料編27 民俗3』より 赤堀道元の娘の伝説群のうちには、それを蛇聟の筋と語るもの(「見そめられた道元の娘」など)があるが、それに近いところで、怪異が後退し、実はこういうことだった、と語る話もある。 引いた話では事前に娘が隠されているが、「あるとき殿様がやってきて、赤堀道元の家に泊って娘を殿様がさらって行ってしまった。あるいは、道元の家は酒屋で、越後から酒造りにきていた者が、娘を連れて逃げたものという(赤堀)」ということで、それを隠すために蛇になった伝説が語られたのだ、というものもある。 これはひとりこの伝説に限ったことではなく、武州の蛇への嫁入りの話で知られる井の頭池に行った娘の話にも、似たような解説がなされているものがある(「井之頭池の主の話」)。 無論、「現実的」というか卑近さで皆捉えようとすると早々に破綻するのだが、確かにそういった一面もあるということではある。しかも、赤堀道元の娘に関しては、これほど端的ではないが、やはり怪異が後退して語られるものがまだある。 国定のほうで語られた、そこには実は高崎藩主の息子と道元の娘という身分違いの悲恋があった、などという話は参考になるところがあるだろうか(「藩主の息子と道元の娘」)。 このあたりを見ると、伝説に隠された現実、というよりも、村里の(赤堀の家と関係のない)人々が興味を持つような筋への再編集の結果、という気がしなくもない。 ちなみに湧丸の寺というのは医光寺というが、本筋の蛇体となった道元の娘の話でも、その後道元が娘の着物を納めた寺として語られる(「十六の娘」)。また、寺の由来に道元の娘のこともあり(蛇体となった話)、よほど関係の深い寺だったのだろうと思わる。 ツイート