昔、蛇の親子がいた。ある日蛇の息子が、息荒く家に飛び込んできた。蛇の母は驚いて、いったいどうしたのかと尋ねた。すると息子は、人間の娘っ子に惚れ、嫁にいいと思って、娘の着物の裾に針を刺し芋の蔓を通してきた、という。
蛇の母は、それなら娘の家もすぐわかるな、と息子を褒め、幾日かして蛇の親子は人間に化けて、芋蔓を頼りにその娘の家を訪ねた。蛇の母は娘の家に行くと、息子の嫁探しをしているが、息子が気に入ったというので嫁にもらいに来た、と言った。
娘の家では一口返事で、化けてきた蛇の息子に娘を嫁にやることにした。蛇のうちには、銭がうんとあるので、嫁にきた娘は、うんと幸せに暮らすことができたのだそうな。
大胡町で採取された話とある。土地の伝説という風ではないが、まったく型破りな蛇聟の話といえるだろう。本当にこれが昔から口承であったとすれば、実に愉快なことではある。
もっとも、それはいつかの語り手が、主客を逆転したら面白かろうと思った、というほどのことで、そのことをあまり深く考える必要はないだろうが。しかし、その終盤は逆転した筋とはまた別に特異なところもある。
東南アジアなどでは蛇聟・蛇息子は人の娘に幸せをもたらす英雄であることが多く、蛇の嫁になってめでたしめでたし、というのも普通だが、本邦でこうもあっけらかんと「うんと幸に暮すことができたんだとさ」と幕になる筋はあまりないだろう。
蛇聟は多く警戒すべきよそ者の表象ではあるが(「ヒキタのえさで生れた蛇の子」など)、そのよそ者と富をもたらすまれ人とは紙一重ではある。この話の終盤にはそういった感覚が残っているかもしれない。