昔、上宿にガニックレという所があり、清水が湧き底の知れない深い淵があった。そこには大きな親分蟹が棲んでいるといわれ、恐れられていた。ところが、ある日の村人たちの酒盛りで、ひとつこの親分蟹を退治してやろう、という話が盛り上がった。
その夜。酒盛りをしていた家のお婆さんが寝ようとするところへ訪ねてくる男があった。用を訊ねると、自分はガニックレの親分蟹を信じているのだが、蟹退治はやめてもらえないかという。お婆さんも祟りが怖いから皆にやめるように言おうと、男に握り飯をあげ、了解した。
しかし、お婆さんが昨夜の話をして蟹退治をやめるよう頼んでも、集まった村人たちは聞かず、焚き木や枯れ草に火をつけ淵に投げ入れはじめてしまった。すると、蟹の子分たちが死んで浮かび上がってき、間もなく大きな波とともに親分蟹も姿を現した。
親分蟹は皆が引き上げようとするのを振り切って鷲子山へと逃げたそうな。その後、蟹の子分たちを酒で清めて料理しようとしたところ、蟹の腹から昨夜の握り飯が出てきたという。
上宿というのは小川中心の温泉神社の北側あたり。今はないようだが、このような大蟹のヌシの淵があったという。話は「もの食う魚」などと分類される話型だが、多く鰻や岩魚などがそのヌシとなるところを小川では蟹がその役を担っているということになる(止めに来たのは子分の蟹だが)。
こういった話で蟹が登場するのは珍しかろうと思うが、那須といえば八溝山の怪物・岩嶽丸(岩岳丸・笹岳丸)は「竜頭の蟹の怪物」であるなどともいい、ヌシといえば蟹、という感覚があった土地なのかもしれない。
同じく小川地域の片平のほうにも、そういった蟹をヌシとする湧水の穴があったという(「かまあな」)。そちらでは蟹を殺した結果水が涸れるなどし、より蟹の意味するところということを考える上でのヒントのある話になっている。