塩谷郡玉生村の道下(どうけ)という字に、大蛇(おろち)の通路といわれているのがある。これは高原山から南の石尊山まで四里程の間をうねうねと、二間位の幅であり、畑の中の其処だけは、同じ時に同じ種を蒔いても、その作物の成育が遅れて、緑の上にうねうねとその跡があるという。
これは、高原山に住んでいた主の大蛇が、山が開発されるので棲み家替えに山を下り、石尊山へ移った時の通路で、今に毒気を残しているのだという。
此の大蛇は気が弱く、人を恐れて石尊山にも居たたまれず、松川の劍山淵に身を投げて死に、その霊が今に、淵の主になっているという。
青麦や風戯に捲く埃 晨悟
石尊山は道下のすぐ西側にある。高原山から来たというと、県道63号線のラインかと思うが、大蛇が身投げした(というのもすごい話だが)松川というのは、道下の西側を芦場新田のほうから流れてきている。
さすがに今は航空写真で見てもそのようなうねうねは判らない。しかし、このように大蛇が這った後に作物が育たなくなる、草木が生えなくなる、という話は偶にあり(「大蛇の通った跡」など)、それをはっきり語った貴重な事例といえる。
高原山から大蛇が移ってくる、という話は一帯にままあったようで、少し北、矢板のほうには高原山の雌雄の大蛇が山の神の怒りにふれて離れ離れに流される地名伝説などもある(「蛇窪と蛇場」)。
これが火山噴火による、とされているのは要注目だろうか。噴火による酸性の水の流れが草木の生えぬ帯状の土地を形成する、ということはあるかもしれない。もっとも、こういった伝のある土地に必ず火山活動がある、ということではないが。