蝮の前生

栃木県芳賀郡茂木町

昔、棒手振りで魚を売る男が、お姫さまに惚れ、身分が違っても、どうしても一緒になりたいと、申し込んだ。そのとき祈願した、なんという神さまか忘れたが、その神さまは、お姫様と会えるようにしてくれた。

それで棒手振りの男は、時間前に神さまの前に行って待っていたが、眠気が差して寝てしまった。そこへ姫さまが来たが、男は寝ているので、仕方なく打掛けを男に掛けて帰ってしまった。目が覚めた男は、くやしくて掛けてもらった錦の打掛けを食い破って、ぼろぼろにして蝮になってしまった。

それで山に行ったら「この山に錦まだらの蛇いだら、やなたつ姫にとって告げる」と三遍唱え「あびらうんけん、あびらうんけん」といえば、決して口はびに食いつかれることはない、とお婆さんに聞いた。(牧野西)

小堀修一『那珂川流域の昔話』
(三弥井書店)より要約

茂木の蛇除けのまじないの話。神さまは(話の採取された土地なら大杉神社となるだろう)場を整えてくれるし、姫さまも優しく打掛を掛けてくれているのに、棒手振り(ぼでふり・天秤棒で商品を担いで売って回る)は、くやしさのあまり蝮になってしまっている。ずいぶん気の短い話だ。

蝮の模様を錦斑と表現するのは関東周辺各地に共通するものの、それを錦の着物と見ることはあっても、食い破った男が口はび(蝮)だというのは横紙破りな話かと思う。人の執念・残念が蛇になるという話を好む野州だが、それでも変わった話だ。

やなたつ姫は同資料では不詳とされているが、これは多く山たつ姫といい、猟師たちが信仰した山の神である女神のことだろう。猪のことだというが、鹿沼のほうではこれを「やまたつへみ」といい、蛇のことではないかと思われる節がある。

以上のようなことを考えると、この話も姫さまへの思いゆえに蝮になった男というよりも、山の姫神に近付き蝮にされた男、という話であったのじゃないかと思わなくもない。そうなると、蝮は山の姫に打掛を下賜された眷属、というようなイメージとなり、蛇除けの呪いと直結するように思う。