ゆうじんぼっち

栃木県大田原市

ある時から、山の上に赤い提灯がいくつも見え始めた。村人は不思議がり、気味悪がったが、その山は龍神様の山で、提灯に見えるのは龍神様の目に違いない、ということになった。それで恐れてみなその山に近づかなくなり、山は「ゆうじんぼっち」と呼ばれるようになった。

しばらくして提灯も現れなくなり、話だけが伝わって年月がたったころ。富貴田のおばあさんが人が近寄らぬゆうじんぼっちに草が青々と生えているのをもったいないと思い、草を取りに行った。おばあさんは長年生きてきても、話の灯りなど見たことがないから平気だ、朝早くならゆうじんさまがいても寝ぼけてるだろうと、強気だった。

しかし、やはり山中一人では心細く、草を刈るうちにしげみからごそごそと音がするのを気味悪く思った。そして、その音のほうに枯れ木を投げて、とたんにおばあさんは悲鳴を上げてひっくり返って気絶してしまった。茂みからは、大きな蛇が首を出し、火のような舌を出しておばあさんを見つめたのだ。

やがて息を吹き返したおばあさんは、ほうほうのていで逃げ帰ってきたが、間もなく死んでしまったそうな。皆は、やはりゆうじんさまの毒気をかけられたのだ、とうわさしたという。

日向野徳久『栃木の民話 第二集』
(未來社)より要約

資料には那須町のこととあるが、富貴田は旧黒羽町の河原から両郷に向かうあたりとなる。今は大田原市だ。この「ゆうじんぼっち」のことも黒羽の郷土誌に見え、那須町というのは誤りだろう。

「ゆうじん」というのは那須での竜神の訛り、「ぼっち」とは那須で峰のことをいい、那須岳の近くには西ボッチとか東ボッチなどがある。引いた話では竜灯のようなものが見えたので、ゆうじんぼっちと呼ぶようになった、とあるが、そもそも竜が山を造って、麓には掘り跡の池があったともいう(今は池は見えない)。

多くこのような伝説は巨人の事業として語られるものだが、それを竜蛇が行い、山がぼっちと呼ばれる、という点には大いに注目したい。私はそもそも、ダイダラボッチのぼっちは法師からではなく、地形上の目星となる山峰や池沼をぼっちと言ったのが先だろうと思っている。