江戸の頃、下生井に大庄屋大橋弥右衛門がおり、おまつという美しい少女が女中奉公していた。器量よし、気立てよしのおまつは主人に痛く気に入られ、主人はおまつの姿が見えないと機嫌が悪くなるほどだった。ところがこれが他の使用人のねたみを買い、旦那様はおまつを愛している、と妻女に告げ口するものがあった。
妻は怒り心頭し、家内を治めるのもままならなくなった。その態度の豹変には弥右衛門も困り果て、家名にもかかわると、小の虫を殺して大の虫を生かすこととした。ある暴風雨の夜、賊が押し入り、おまつを刺し殺したが、その賊は弥右衛門の腹心を刺客に仕立てた者だったという。おまつの両親は、これを聞いて落胆の余り娘の後を追って自殺してしまった。
──それからである。弥右衛門の屋敷には三匹の白蛇が現れるようになった。蛇たちは雄蛇と雌蛇と、その間にはさまれた小蛇で、連れ立って這いまわり、家の者を燃えるような眼で睨むのだった。
しかも、その蛇たちは、蛇のものではない人間の舌を持ち「うらめしや、うらめしや……」と聞こえる声を発していた。あまりのことに家ではおまつの霊を蛇王様と祀り、供養した。怪異は起きなくなったが、蛇王様の祠には蛇が群がり住むようになったという。
後日談として、この蛇王様の祠が病を治すと話題になり、一種の流行神となり参詣客がおしよせ、物売りの店ができるほどだった、とある。が、三匹の白蛇はいつか旧思川に去ってしまったともいい、今の世にその強盛はない。現在も個人宅内にあるようだが、大橋弥右衛門の家とはもう関係もないそうな。
野州には恨みを飲んで死んだ者が蛇となって出る話が多いが(「死者が蛇になって出てくる」など)、これは上州高崎あたりによく見る、ねたまれ殺される女中の話と近い構成になっている。話は「おまつ」だが、これがお菊さんであったりお虎さんであったりするので、この話型は要注意なのだ。
しかし、恨みを人語で述べることを表現するためとはいえ、人間の舌を持つ蛇という表現を入れてくるあたりは随分と不気味な話でもある。両親までが死んで揃って出てくる、というのも際立つところだ。戯作者の手が入っていたりする事例かもしれない。