三夜さま

栃木県鹿沼市

三百年前とも五百年前ともいう昔、花岡にまだ十数軒しか家がなかったある年の夏の暑い日、昼を過ぎて激しい夕立となった。その雨と雷鳴の中、徳兵衛の家に、姫さまのように気品のある女が転がり込んできた。女房が見ると、女は身重である。女は追われているのでかくまってくれ、と徳兵衛に懇願した。

しかし、徳兵衛の家は一間のあばら家で隠れるところもない。徳兵衛は、近くの冨士山の登り口にある大杉のうつろを思い出し、そこへ隠れれば、と考えた。濡れた体ではさわるから、と女房は自分の晴れ着に着換えさせたが、その時、女の帯の間から丸い石が転がり落ちた。それは女の守り神であるという。

山の杉に女を隠した徳兵衛は、続けてやってきた侍たちの詮索にも、知らぬ存ぜぬとしらを切りとおしたが、夕暮れになり、ついに山のほうで女を見つけたという大声がした。ところがその時である。その山のほうから男たちの悲鳴が聞こえ、戦うような声と音が夜更けまで続いた。

夜が明けると、徳兵衛と女房はもう静まり返った山へ向かった。そして杉の木に至ると、なんとそこには数匹の大蛇がとぐろを巻いており、その周りに侍たちが倒れているのだった。うつろの中からは赤ん坊の泣き声が響き、女は赤ちゃんを生んでいた。

徳兵衛たちを見ると大蛇たちは去り、ふたりは女に駆け寄った。女は、夜は大蛇が守ってくれたといい、自分はもうこれまでだが、子をお願いします、と弱弱しくいった。そして持っていた石を出し、これは安産と子育ても守り石であり、役立ててください、といって女は息を引き取った。

徳兵衛は村の人たちと女を懇ろに葬り、祠を建てて石を祀った。土地の人は身籠るとこの石を借り、安産すると一つ石を添えて返した。これが花岡の浅間神社わきの三夜さまの由来で、今も祠には丸い石が積まれている。

小杉義雄『鹿沼のむかし話』
(栃の葉書房)より要約

花岡町の冨士山(今は普通に富士山と書くが)登り口の浅間神社が舞台となる。三夜さまの現状は不明。大杉はすでに伐採され、境内に切り株があるのみという(別の大杉はあるらしい)。北関東では、特に常陸のほうにかけて月待講が女人講であり、産育の効験をよく持つ。この三夜さまも、そのひとつだろう。

しかし、二十三夜講に代表される三夜さんが蛇と結びつくという話はあまり見ず、解釈の難しい話となっている。姫さまもどこから来たのか書かれていない。雰囲気的には後北条に与した鹿沼城壬生氏とその最後という感じがするが、不明。

この姫を守った大蛇たちは何ものであろうか。姫の守り石の神の化身であるというなら、三夜さまの蛇、という珍しい話となる。姫が身を寄せた大杉の蛇、ということなら(このとき浅間神社あったかどうか書いてないが)浅間の蛇、という可能性もある(これも珍しいものだが)。

そもそもこぶし大の丸石を本尊とするというのは、常陸のほうの月待では見た記憶がなく、信州のほうとつながるもののような雰囲気でもある。いずれにしても、鹿沼周辺の土地の信仰をよく見て、つながるヒントを探すことになるだろう。