食傷丸

茨城県那珂市

昔、下江戸の斎藤(後に那珂)家に、香砂平胃散、香砂平胃丸(食傷丸)という家伝薬があった。斎藤家の作男が静神社にお参りしてくたびれ、ひと眠りしていたところ、大蛇がウサギを丸呑みにするのを見た。

それで大蛇は膨れた腹を引きずっていたのだが、何かの草を食べたとたんに、腹がみるみる元通りになってしまった。作男は、あの草には食べ物を消化する効き目があるらしい、と思い、たっぷり刈って持ち帰った。

しばらくして、村の大食い競争があり、作男も参加した。そしてすさまじい食べっぷりで一等になった。さすがに腹ははちきれそうだったが、家に帰ると件の草を大量に飲んで、これで大丈夫、と寝てしまった。

ところが、次の朝家人が見ると、寝床はもぬけの空で、着物と草だけが残っていたそうな。斎藤家の人は、その草は少量粉にして飲めば食べ過ぎに効くと見極め、家伝の秘薬として「食傷丸」として売り出したという。

朝日新聞茨城版『いばらきの昔ばなし』より要約

つまり、作男は草を大量に飲みすぎて、自分自身を消化してしまった、という話。この話は落語の蛇含草・そば清の筋がもとと思われ、人を呑んだ大蛇が草をなめて消化するのを見て、その草を使った人が消えてしまう、草は消化を助ける薬ではなく、人を溶かす草だったのだ、という話となる。