昔、横堀と堤の境に阿迦沼があり、胴の太さが一尋もある耳の生えた大蛇が棲んでいた。この大蛇を一目見ると、忽ち頭も上がらぬ病に伏せるとあって、村では蛇が出たと聞いては、戸を閉ざして家中に隠れる始末であった。
ここに、もと武家の山崎大和丞某という者がおり、一羽の鷹を飼っていた。この鷹のところへ蛇が来て、口から赤い炎を出しながら這って行くのだった。そして、鷹の籠に巻きついた蛇が中に首を突き入れたところ、鷹は飛び上がって蛇の首を食い切り、殺してしまった。それから村には蛇の害はなくなったという。
横堀と堤の境に今も「阿加内溜池」が見える(今はもうコンクリで固められた溜池だが)。しかし、この話は『古今著聞集』巻第二十魚蟲禽獣第三十「摂津國岐志庄の熊鷹大蛇を食ひ殺す事」である。『著聞集』の鷹匠の名は「左近将監の某」で、蛇は一丈ほどの長さだが、話の筋は全く同じだ。
大録義行『那珂の伝説』には、このような中世の説話集である『著聞集』に見る話を常州那珂地方の昔話として採録しているものがいくつかある。上に見るように、『著聞集』上でそれが常陸の話だった、ということもない。
同じく上巻にある那珂の向山の話だという「鉄の針」は、巻第二十魚蟲禽獣第三十「摂津國ふきやの下女昼寝せしに大蛇落懸かる事」とほぼ同じ。
さらに下巻にある静のほうの話と思われる「青大将のむくい」は、巻第二十魚蟲禽獣第三十「建保の此北小路堀河辺の女熱湯を注ぎて蛇を殺し祟に依りて死する事」にほぼ同じである。
なぜこのような話が那珂にあったのかは不明だが、正しく土地の人の口承にあったならば、いつか昔の物知りが『著聞集』から引いた話が土地の伝説と化した例、となるかもしれない。