浅間塚の山に昔長者が住んでいて、長者と呼ばれるにふさわしい情の深い人であったという。人々の暮らしは一枚の着物に一個のお椀、という風で、寄り合いや冠婚葬祭の集まりに膳椀を揃えるのが難事であったが、長者さまが貸してくれるのだった。
山裾の道祖神様のところに、必要な数を書いて置いてくると、翌朝にはその数の膳椀が棚の上に並べられていたという。こうして、山の上の長者は膳棚長者と呼ばれるようになった。
ところが、慣れれば不心得者が出てくるもので、借りた膳椀のいくつかをくすねる者がいたり、しまいにはそっくり借り貰い申してしまうものが出てくるに至り、以降いくら頼んでも膳椀は現れなくなってしまったという。
浅間塚は上戸にある浅間塚古墳のことで、これもまた古墳が椀化しの舞台となっている事例となる。ただし、多くその墳墓の開口している穴が焦点となるのに対し(「龍宮塚の椀貸穴」など)、ここでは長者の名にもなるような棚に置かれるという次第となっている。
同資料の解説によると、興味深いことに浅間塚の近くには階段状の方墳があったらしく、この段々をいっていたのじゃないか、と指摘されている。「膳立て山」とか「ゼンタラ山」などとも呼ばれたという。
そのような感覚は、あまり竜宮の話という雰囲気がないところにも見えるだろうか。甲信地方から北関東に多くある椀化し伝説だが、常州は北関東といってもこの話があまり見えない。そういう点は北武を除く南関東に近いだろう。型から外れた筋書きの事例として重要かもしれない。
もっとも、水界と膳椀の関係が同地になかったのか、というと、そうとばかりもいいきれない。旧牛堀町内といっても、北浦との間くらいまで陸に入るが、大膳池という池がある(椀化し伝説が直接あるわけではない)。
「膳」とつく地名は各地にあり、膳部などに由来するだろうから、膳椀を貸す伝説の指標になるわけではないが、大膳池には大蛇の話がある点は覚えておきたい(「大膳池の大蛇の話」)。