稲田姫神社の大蛇

茨城県笠間市

稲田姫神社は式内の古社だが、その森には大蛇が住んでいたという。昔、ある坊さんが立ち寄り、貧しく供えるものがないので、一心に読経をしてお参りした。そして、休んでまた道を行くと、大風が出て黒雲が覆い、沢山の化け物どもが追いかけてきた。それでまた一心にお経を唱えると、化け物は消え、坊さんは助かった。

坊さんは鹿島神社に行くと、お経をあげ、稲田社で斯様なことがあったのはなぜか、悪い神のたたりだろうか、と神前で問うた。すると夢に鹿島の神がたくさんの神々を連れて現れ、取り調べてみようといい、神兵が稲田に飛ぶと、白髪の老人を連れてきた。

鹿島の神は、老人に、人々を守る仕事をしないで脅かすとは何事か、と老人・稲田の神を詰問した。すると老人は、数百年生き、神通力をもった大蛇に神社を奪われ、自分は木の根に住んでいる始末であると訴え、この度の怪異もその大蛇の仕業であると申し述べた。

鹿島の神はこれを聞くとただちに五千の神兵を行かせ、大蛇を討ち取らせた。戻った神兵が持ってきた白蛇の首は、四、五メートルもあり、角は鋭く、耳は箕のように大きかった。

目覚めた坊さんが、急ぎ笠間に戻ると、稲田神社は焼けて灰になっていた。村人に聞くと、昨夜急に大嵐がおこり、雷の音に弓矢の音や叫び声が混じり、黒雲が火を吹くと神社はたちまちに燃えたのだ、と語った。そのあとには、五、六メートルもある首のない大蛇の死体が転がっていたという。

笠間文化財愛護協会『笠間市の昔ばなし』
(筑波書林)より要約

それでも、やはり蛇と縁の深い社だというイメージはあったのだろう。話の上では邪な大蛇であるばかりだが、地主が蛇だという所でままこのようにも語られるものではある。

水戸の御老侯(は、実際に稲田神社の荒廃を嘆いて旗幟を寄進しているのだが)が例によって、神殿の扉を開けようとしたところ、扉に手が挟まり抜けなくなった、などという話もあるが、これをやったのも大蛇のほうかもしれない。