大蛇の通った道

福島県大沼郡会津美里町

ざっと昔。会津総鎮守の神さまが博士山に祀られていたが、ひどい山奥なので、だれも参拝できず、人々を不憫に思った神様は明神ヶ岳に遷られたが、それでも難儀なのに変わりはなかった。そこで神様が氏子たちを集めて相談すると、自分が良い場所を見つけましょうと、一匹の大蛇が天に舞って行った。

ここぞというところで大蛇が下りて、太い尻尾を振ると、道がたちまちに分かれたが、そこを西尾岐・東尾岐という。ところが、そこは藪蚊が多かったので、大蛇は北に向かって這って行った。それでそのあたり永井野の道は、右に曲がったり左に曲がったりして真っすぐでないのだそうな。

やがて大蛇は好地を見つけ、山に戻ったが、こうして遷されたのが今の伊佐須美神社であるという。おかげで神社には遠方から大勢の参拝人が押し寄せるようになり、会津一の国幣社となった。

毎年行われる「お田植祭」は日本三大お田植祭りのひとつだが、よく雨に見舞われる。それはあの大蛇が天空を飛んで、伊佐須美神社に挨拶に来る前触れで、人々の気を鎮め、祭りを無事終えられるよう雨を降らせるのだという。

みさと民話の会『会津 みさとのむかし話』
(歴史春秋出版)より要約

四道将軍の由来を語る会津一の古社・伊佐須美神社は、このように大蛇によって博士山・明神ヶ岳の山奥から、参りやすい平地に降りたのだという。神社から宮川をさかのぼると、永井野、さらに上に尾岐窪などの名が見え、これが大蛇が這った経路となるのだろう。

伊佐須美神社の大蛇はいかにも神使いという活躍をしているが、また一方で、土地の姫に思いを寄せて辛抱たまらず襲いかかったりという話もある。そのくらいのほうが、大蛇の社だ、という土地の感覚をよく物語るかもしれない。