蚕の蛇神様

福島県伊達市

白根の明神様って、蛇の神様だげんちょも、蚕の神様なんだない。

蚕の時、こどんさまのどき、ねずみにくわんにえように明神様から、蛇借りでくんのない。川っ端のおもろぐち、石垣んとごさ、卵んんて、うんとあげでおぐど、やっぱり蛇がすするんだど。
そうして、お借りすっとぎは、紙さこう書いで、家さ帰っとぎは、誰と行きあっても、しゃべんねえで帰んなくてなんねんだ。途中で、しゃべったり、よそさ寄ったりすっと、蛇は、戻っちまったり、よそさ行ったりすんだど。

ほうして、梁川の田町の方の人が借りさ来たんだ。ほして家さ借りて帰ってみだれば、さっぱり蛇の姿見えねえ。お姿見えねえんだど。ほれがら、まだ、明神様さ来てお借りしても、お姿見えねえがら、お姿見しぇでくんちぇって、お願いしたんだど。
ほって、家さ帰って座敷さ入ったら、わらだだの、部屋の中で、ペロペロペロペロって蛇がいっぱいいだんだど。ほしたらこんど、おっかなぐなって、いらんにえど。

ほごで大夫(たゆ)様頼んで拝んでもらて、蛇帰ってもらったど。ほして、田何反歩だが上げたんだつけ。今もその田、明神様さあっつけぞ。お祭りすっとぎ、やっぱり、銭あげるんだって。

『梁川町史12 民俗編II 口伝え』より

蚕を守る巳さんというのは、こういう感覚のようである、という話。「感覚」が重要なところなので、語り口のままに収録する。意味の通じがたいところの解説をあげておくと、「こどんさま」というのは蚕殿様で蚕さま、ということ。「おもろぐち」というのは「蛇が住む穴の入り口」のことだそうな。

養蚕の村ではどこでも鼠を捕ってくれるからといって蛇(神)を尊ぶわけで、「どこそこの弁天さんのお使い蛇はよく鼠を捕ってくれる」などと、あたかも本当の蛇を借りてくるような言い回しでお使い蛇をいただいてくる次第を語る。普通に考えたら、これはそのお宮のお札・絵馬をいただいてくる、ということだったのだろうが、そこから「実際蛇が来る」という感覚までをよく表現しているのが、この一話といえる。

ちなみにこの白根明神さまというのは伊達市梁川町白根の小字宮本にある瀧野神社であるようだ(同稿には「宮下にある滝野神社」とあるが)。悪口をいったりしても、家に蛇がわくという(どちらも普通は見えない蛇が見るようになって仰天するという流れが共通する)。

なお、白根の北に隣接する山舟生(やまふにう)にある風穴は、この白根の明神さままで繋がっているといい、「繋がる穴」のモチーフがある。その風穴は、涼しく常温に保たれ、蚕種の貯蔵に使われたといい、これも養蚕に関係している。