大昔、舞木の直毘神社の近くに櫟下という土地があり、数千年の櫟の大木があったが、この日陰となって作物が実らないので、伐採することにした。ところが、数日切ったが翌朝になると切り口が元通りに治ってしまい、伐り倒せない。この時ヨモギが、木端を焼いてしまえばよいと教え、ついに大欅は伐り倒された。
老大木が大音響を立てて天空に舞い上がり落ちた地なので舞木(もうぎ)という。また、木漏れ日を受けていた土地を「間明日」、まったく日陰であった土地を「日影田」、根が北に飛んだところを「根木屋」と呼び、欅は今の「木村」まで飛んだという。ともあれ、これで日が降り注ぎ、人が移り住んで豊かになったので「福内」というようになったという。