御前清水

福島県郡山市

湖南の舘と船津の間に千代が崎がある。小櫃に岐れる所に清水があり、昔は関所で千代が崎弾正という武士がいた。弾正には千代姫という美しい一人娘がおり、毎日機を織っていた。姫には相思の若者がいたが、男の身分が低かったので、弾正はこの仲を裂き、強引に姫を武士の若者と縁組させてしまった。

姫は憂さをまぎらすため一層機を織り、人は機織御前と呼んだ。しかし、ついに姫は姿を消し、湖畔のオボケ沼のほとりに姫の履物があった。不思議なことに、姫の亡骸は一里も離れた浜路の池に浮かんだという。そして、浜路の若者が身投げをした。姫と相思の若者であった。

浜路の池からは、夜更けになると機を織る音が聞こえるようになり、御前清水と呼ばれるようになった。一帯は湖畔の湿地だが、御前谷地といわれる。オボケ沼と御前清水は底が通じ合っているといい、水位の上下が同じになるそうな。

郡山市教育委員会『郡山の伝説』より要約

こちら機織御前としてのお千代の話には竜蛇は出てこないのだが、機織り娘が入水する理由として、蛇聟に通われた結果、というものは多い。あるいはひとつの筋であったものが分かれたものかもしれない。

ちなみに、「オボケ」というのは苧桶のことだと思われ、これは糸を紡いだものを貯めておく桶のこと。その名も機織りと関係している。