掃部長者

岩手県奥州市

近郷一番の大福に掃部長者があったが、その妻は欲深く、何百人もの下男下女に朝早くより夜遅くまで重労働を強いていた。ある日、一人の下女が井戸で水を汲んでいると赤い魚がまじった。味噌をくるみ焼くと良い香りが漂った。これを嗅ぎ付けた長者の妻が出て来て赤魚を食べてしまった。

すると妻は喉が渇いたと下女に水を運ばせた。何度も運ばせるので下女は力つきてしまう。そこで妻は自ら井戸に行き、顔を突っ込んで水を飲み出した。井戸端の石が崩れ、妻は水に入り、遂には大蛇となってしまった。これより後、上葉場村を湖となし棲みついた。

この大蛇は毎年作物を荒らすようになり、年毎に順に女一人を生贄として要求した。ある年、郡司兵衛の番となったが、娘は一人娘だった。郡司兵衛はやむなく代わりの娘を買うことにし、旅途についた。

肥前松浦の貧しい一軒家を訪れた郡司兵衛は、そこに暮らす盲目の母と佐夜姫に事情を話した。母は止めるが、佐夜姫は自分が身代わりになればその金で母の暮らしが楽になろうと承諾する。こうして郡司兵衛は佐夜姫を北国へ連れ帰った。

生贄になるときが来て、松浦佐夜姫は尼坂で髪を刈り、化粧坂で化粧をし、道伯森の頂上に四柱を組んだ台の上に座禅をした。にわかに嵐が起り、大蛇がやってきた。佐夜姫は守りの薬師如来をとり出し、法華経を誦読した。

すると大蛇が弱り出し、姫が読み終わるやそれを大蛇に投げつけると、その角にあたり、角は頭から落ちた。嵐が治まると、大蛇は死んでいた。里人は角を角塚に、大蛇の体は大塚に埋めた。さらに佐夜姫を加護した薬師の堂を建立し、佐夜姫は肥前へと帰った。(『南都田郷土史』)

『日本伝説大系2』(みずうみ書房)より要約

人身御供の姫の代名詞である「さよ姫」伝説の典型が奥州胆沢に伝わる。実に多くのモチーフを内包する伝説であり、また派生話も多く、その探求は多岐にわたるが、それは今はさて置く。