蛇の子八郎

青森県つがる市

八郎の父は木樵(やまご)で、いい男なんで、蛇(へべ)が女になって来て、嬶になって八郎が生まれた。八郎も木樵をしたが、仲間と山に入って、飯炊き番をしているときに、仲間の八人分獲った魚を一人で皆食べてしまった。それで喉が渇いて、桶で飲んでも足らず、川の水を飲み、大蛇になってしまった。親が蛇だから。

それで持っていた杖をついてゆすって、出来たのが十和田湖で、八郎は主になった。ところで南祖坊は落ち着く先を探し、弘法大師に草鞋の紐が切れたところが落ち着くところだと告げられ、この地に来た。そして十和田湖のところで紐が切れたので落ち着こうとしたが、八郎がいた。

こうして八郎と南祖坊は、大変な戦いをしたが、南祖坊の唱える経文が、八郎の蓑(けら)の瘤より多かったので、八郎は負けて十和田湖を南祖坊にとられた。八郎はいられなくなって、八郎潟へ行って、出来たのが八郎潟だ。

『日本昔話通観2』より要約

南部地域などに見る「十和田山由来記」をもとにした八の太郎(と、南部地域ではいう)の出生伝説では、母は人間のお藤で、そこに八太郎沼の大蛇が男となって通って八の太郎が生まれる。すなわち父が蛇であるのがもっぱらなのだが、この津軽の話では、母のほうが蛇だとなっている。こういった筋もあるのだ。

後段の南祖坊との戦いのほうにも面白い記述が見える。よく知られるこの戦いは、南祖坊の読経の一字一句が剣となり八郎を襲うのだが、それが「蓑の瘤ぁ、お経より少だでばな」と語っている。おそらく、鱗の数が剣の数に及ばなかったので、防ぎきれなかった、ということだろう。これが「蓑の瘤」であるのは要注意だ。