ミリッツァ妃と龍
門部:世界の竜蛇:セルビア:2012.04.07
場所:セルビア:スレム
収録されているシリーズ:
『世界神話伝説大系34』(名著普及会):「ミリッツァ妃と龍」
タグ:王と竜蛇
伝説の場所
ロード:Googleマップ
キリスト教圏でもよく淑女が蛇に夜這される。そこでは竜蛇は淫欲の業の表象そのもであり、悪魔である。それが定義なのだから基本例外はない。しかし、キリスト教の世界観がすべてを「均す」ことが出来たのかというとそうでもない。所々こぼれ落ちて、より深い層へのびる根を見せる芽もある。ベオグラードの西にもそのような「はみ出した」竜蛇がいた。それはあるいは古代ギリシアまで遡る根を持つかもしれない。
まばゆい晩餐の席で、ラヅァール国王はミリッツァ妃の顔が不安に曇っているのを見とがめ、理由を尋ねた。すると妃は昨年からヤストレバッツの龍が毎夜やって来て抱き付かれているのだと告げた。驚いた国王は、今夜来たら何を恐れるのか尋ねてみるようにと言った。
その夜、ミリッツァ妃がそのようにして尋ねると、ヤストレバッツの龍は神のほかに恐ろしい敵が一人だけいるのだと答えた。それは龍が子どもの頃から力比べをしては自分を負かしてきた、クーピノヴォ村のヴーク龍だという。
これを知った国王は、直ちにヴーク龍へ、ヤストレバッツの龍を退治できたならば、シルミア領を永遠に封地として与えようとの手紙を出した。ヴーク龍はヤストレバッツの龍が古くからの友人でもあることで悩んだが、その邪悪な行為を見逃せはしないと敵対することを承諾した。
やがて、いつものようにヤストレバッツの龍が城へ飛んでくると、そこにヴーク龍の怒号が響いた。謀られたと知ったヤストレバッツの龍は怒り、黒雲に乗って飛び上がったが、ヴーク龍もまた黒雲に乗って追いすがり、たちまちにヤストレバッツの龍の双翼を討ち折り、大地に落とした。ヤストレバッツの龍は大蛇の様にのたうち回りながら呪いの言葉を吐いたが、次の瞬間ヴーク龍の太刀に首を刎ねられた。恐ろしい死に様のヤストレバッツの龍の首代を見せられた国王は熱病に取り憑かれたが、約束どおりヴーク龍にシルミア領を与え、彼は領主として生涯その地を治めた。
詩人は、この有様を次のように歌っている。
かくて両人は、助けつ助けられつ
諸共に幸福の泉へ
喜び頌う民草のいまに語り伝う
その名は勇ましヴーク龍
お話の舞台はドナウ川流域で、先頃復活していたキートン先生がご執心だったドナウ文明の想定域でありますな。そこにこのような竜同士の闘いが語られてきたわけだ。ヤストレバッツというのは「ヤストレバッツ山に物凄い炎が……(そして龍が城へやってくる)」とあるので山の名であるらしい。セルビア辺りというのも様々な民族が入り乱れているので言語的に難しいのだが、文中シルミア領とあるのは今Wikipediaだとスレム(セルビア語)の表題になっている。シルミア(Syrmia)はラテン語だとそうなる、ということのようだ。いずれにしても基本ヴーク龍の話だと判断して、地図はここをポイントした。
本文中双方竜の姿をとったり人の姿をとったりと分かりにくいのだが、ヴーク龍は城に来て妃らと会った時は騎士の姿、空中での闘いの時は竜の姿か。そして最後ヤストレバッツの龍の首を刎ねる際は剣を振っているので騎士の姿なのだろう。そしてその後人々の領主におさまるのだ。まことにおかしな話であり、一体どこが主眼なのかもよく分からない。ミリッツァ妃がキリスト教的に魔的な淫欲にとらわれた話なのかというと、途中からそのモチーフは無くなってしまう。また、そうであるならばヤストレバッツの龍は聖ゲオルギオスのような存在に討たれてしかるべき所が、討つのもまた竜なのだ。さらにそのヴーク龍が領主として英雄のように描かれる後半なのであるとなると一体この話は何なのかということになる。
さて、今回はここから話の根を南方に訪ねて行ってみよう。それぞれの話はいずれ劣らぬ竜蛇伝説であり、詳しくは独自の稿でまとめる。今回は高速でスキップしつつ辿る「行きて帰りし物語」である。
セルビアの南はマケドニアだ。そこに蛇に夜這われる妃の大先達がいる。BC4Cの古代マケドニアの王フィリッポス2世の妃オリュンピアスは蛇が大好きだった。ディオニューソスの密儀を受け継いだ巫女であったかもしれない。その王妃が蛇と化したゼウスに夜這われて懐妊した子であると伝わるのが、世界でもっとも有名な王、アレクサンドロス大王に他ならない。
オリュンピアスを誘惑するゼウス
レンタル:Wikipedia:画像使用
さらにオリュンピアスは生まれた赤子のアレクサンドロスを蛇に親しませようと蛇を這わせていたともいう。今ではこれは猟奇的な「いかれた母」の所行で、アレクサンドロス大王はそのトラウマをかかえて育った、という具合に表現されるのだが、私は本来そうではなかったと思う。
さらに南に下ると、王となる定めの赤子に蛇を這わせた大先達がいるのである。それはギリシア至高の戦女神アテーナーその人である。アテーナーはヘーパイストスと大地の女神ゲーの間に生まれた子(意味的にはアテーナーの子ともとれる)を不死の王にしようとする。
彼をアテーナーは不死にせんものと神々に秘して育てた。そして彼を箱に入れて、ケクロプスの娘パンドロソスに、箱を開くことを禁じた後、あずけた。しかしパンドロソスの姉妹らは好奇心に駆られて箱を開き、赤児を巻いている大蛇を見た。
エリクトニオス
リファレンス:Classical Mythology Images:画像使用
こうして育つのがアテーナイの伝説の王、エリクトニオスなのである。アポロドーロスは蛇を入れた理由を「不死にせんものと」と、はっきり伝えている。おそらく、そうすることによって王たるものが生まれるという信仰があったのだろう。王は蛇巫の関与によって誕生するのである。
ここから北へ逆に辿って戻って行こう。オリュンピアスがアテーナーたち蛇巫の末だったのではないかというのは濃厚である。不死の王を生み出すためには母は蛇を這わせたのだ。そして、これはアレクサンドロスが王となって後もその守護が続いていたと思われる。ポンペイの有名なイッソスの戦いのモザイク画のアレクサンドロスは、メドゥサのアミュレットを胸につけている。それはあたかもアテーナーがアイギスの楯を装備していたように、と言えるかもしれない。
イッソスの戦い(部分)
レンタル:Wikipedia:画像使用
そしてこのような蛇と王の関係がキリスト教以前のバルカン半島にはあったのではないかと仮定して、はじめのミリッツァ妃と龍たちの話に戻ってみると、ヴーク龍とは「竜蛇と妃の間に生まれた英雄ヴーク」だったのではないか、という見え方になる。そうであるならば、竜が人々の領主としておさまるというこの一見突飛な伝説にも落としどころが見えてきそうな気がする。キリスト教の中では語ることの出来ない「竜の子」の話が今見るように変型して伝わったのだろう、と。
もっとも、本当に詳細を追っていって繋がるものなのかどうかはまるで分からない。先に述べたように諸民族入り乱れる土地なので、ヴーク龍の話をどのような人々が語り伝えたのかも分からない。しかし、アテーナーからアレクサンドロスまでは多分繋がる。そしてその先に散らばる伝説に残響がある可能性は考えておいて良いだろう。セルビアのミリッツァ妃とヴーク龍の伝説は、そういった根をかいま見せる一例なのではないかと思う。
memo
ミリッツァ妃と龍 2012.04.07