宇賀神社

索部:相模神社ノオト:2011.09.17

祭 神:大食津姫命
創 建:不詳(養老年間以前・伝)
例祭日:九月二日
社 殿:宮造/南向
住 所:中郡大磯町西小磯

『神奈川県神社誌』

宇賀神社
宇賀神社
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JR東海道本線大磯駅から西へ1kmほど、国道一号線沿いの西小磯という土地に鎮座される。伊藤博文が別邸として造り、後本邸とした滄浪閣が一号線沿い海側にあり、ちょうどその対面くらいとなる。国道に面して「宇賀」と刻まれた石鳥居が立っているのですぐ分かるだろう。

口伝によれば養老年代以前と言う。相模国府祭に参集の為渡幸の神輿は宇賀神社の前を遠ざかりて通るを例とせしと。又御神体は蛇体に現われ邪魔せしものとも云い伝う。

『神奈川県神社誌』より引用

と、大変興味深い話の伝わる所なのだが[資料1]、まずは近世から戦前の模様を述べておこう。『新編相模国風土記稿』に「宇賀神社 畑中に小祠を建、村持」とあるのがこの宇賀神社であるとされるので、天保の頃には宇賀神社と呼ばれていたことになる[資料2]。現在の宇賀神社の外観はお稲荷さんである。狐像が前面に配置され、歴代のお狐さんの像も大事に祀られている。ここの小字も「稲荷松」であった。

狐像
狐像
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西小磯という土地は大変独特な「稲荷講」の行われてきた土地で、実態は稲荷講というよりも若者組である(土地では「若衆組」と言う)。農村の階級制としての若者組というより、漁師町の若者たちの集団生活の自由を認める系統のそれであり、もっとも重要な次第は大磯の遊郭などから芸妓さんを呼んで来る「成人式」にあったそうな。その西小磯の稲荷講の中心が宇賀神社となっていた[資料3][資料4]。社殿内に見る稲荷講の提灯にも「若者中」と入っている。

『大磯町史』には「水商売や職人の人たちの信仰が篤い」とあるが[資料3]、西小磯に遊郭などはないので、この稲荷講の次第の伝統から来ているのかもしれない。資料には見えなかったが、webサイト「古代であそぼ」様が、「宇波(うば)とか地元の方は淡島さんと呼んでいる」と報告されており、この辺りも漁師達と水商売の人たちの信仰する社であったことを伺わせる。

奉納絵馬
奉納絵馬
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さて、そのようであった宇賀神社なのだが、先の「相模国府祭に参集の為渡幸の神輿は宇賀神社の前を遠ざかりて通るを例とせしと。又御神体は蛇体に現われ邪魔せしものとも云い伝う。」の伝をもう少し詳しく見ておこう。『大磯の今昔 一』によく取材されている[資料4]

宇賀神社さんの事など: (前略)昔国府祭(こうのまち)の時、一宮・四宮・八幡さんのおみこしは宇賀神さんの裏の道を通った。小磯の人達は、宇賀神さんの神格が高いので他の神様は前を通る事が出来なかったのだと言い伝へ、他所の人達は、宇賀神さんはままっ子の神様だから前を通るとやきもちをやかれ、あたをされるから前は通らないのだ、と言い伝へる。其ののち前を通るようになった時代のこと、国府祭からのかえりに、宇賀神さんの前にさしかかった時には提灯の火を消し、一同息をひそめて通り、通りすぎたとたん「わーっ」と歓声をあげたと言う。

『大磯の今昔 一』より引用

国府祭(こうのまち)とは、宇賀神社の西方2.7kmほどの所に鎮座される大磯相模総社・六所神社が中心となり、その東北東の山、神揃(かみそり)山に相模の一宮から四宮、五宮格の平塚八幡宮の神輿が集結する、という祭である。今は近くまで車で神輿を運ぶが、昔は各神社からずっと担がれ徒歩の行程で神輿はやってきていたのだ。祭祀の次第は一宮寒川神社と二宮川匂神社がどちらを一宮とするかを問答する「座問答」を中心とするが、もとは六所の女神を巡る神婚祭であったのではないかとも考えられている[資料6]。宇賀神さんはこの祭への渡幸を邪魔する、というのだ。

これがまた「蛇体に現われ邪魔せしもの」ということで難しい。今でも宇賀神社の境内には蛇の石造物が置かれている。

蛇の石造物
蛇の石造物
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このような蛇(巳)の石造物は、弁天を祀り、巳待ち講(弁天講)という講の行われていた所にあるものである。しかし、ここ宇賀神社が弁天であった、という記録はまったくなかった。また、巳待ち講が行われていた記録もまったくなかった。一方で、そもそも「宇賀」の神とは弁天と習合するものでもある。近い所で有名なものだと鎌倉銭洗弁天は正式には「銭洗弁財天宇賀福神社」と言う。宇賀の神は蛇体に白髭の人間の老翁の顔の乗る姿、ないし蛇体に人間の女の顔(弁天)の乗る姿をとる。

この辺り、どれが先でどれが後かというのも難しいが、弁天信仰が見られないことを考えると、先に蛇を祀る何かがあり、故に同様の巳の像などを祀る宇賀神とされた、と一応は考えている。かつてはこの宇賀神さんの前、国道一号線の中央分離帯に道祖神さんの一群があるのだが、その中にも蛇の石像があったという(今は見ない)[資料4]。後述するが、周辺蛇信仰があった可能性も見える。そちらが古く、これが宇賀神とされ、稲荷との習合はさらにその後、ということになるのだろう、と。

しかし、その蛇が何故国府祭を邪魔するのかと言うとまるで分からない。社格の問答を邪魔するの意なのか、より古いと考えられている神婚祭を邪魔するの意なのかで意味合いが大きく違ってもくるだろう。「ままっ子の神」というのも重要に思える。より広く全国の類例を鑑みて、この辺りの意味が見えて来るのかもしれない。

参拝記

宇賀神社へは平成二十二年の三月二十日を中心に何度か参拝している。まだ、こういった神社巡りをこうして発表する予定もなかった頃なので、それでもあれこれ取りこぼしがある。そのあたりはまた改めて参拝し、追加・更新していこう。

鳥居
鳥居
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そもそもここ宇賀神社に注目したのは、蛇神信仰と稲荷狐を結ぶ吉野裕子氏の推察によっている。円錐形の神奈備山への信仰には、この山の形をとぐろを巻いた大蛇と見立て「ウガ神」とした信仰が元にあり、これが下って稲荷信仰に吸収された……という推察だ[資料7][資料8](ただし、後の論考では宇賀を「ウガル」とし、南方祖語に由来する、と書き改められている[資料9])。

お狐さんの像を祀りながら稲荷社でなく、宇賀神社であり蛇の像まであるというここ大磯「宇賀神社」の発見で色めき立ったのも無理からぬことだ(笑)。しかし、その後あちこちの稲荷社・弁天社等々を巡るに連れ、これらの神格の連絡習合は大変複雑であり、また「気軽」であり、そうそう一事が万事とはいかない、という感じになっている。極端な話「隣村は稲荷祀ったそうだ。じゃあうちは弁天さんにすんべぇ」くらいの話で同じ環境を稲荷と弁天が分け祀っていることもあるのだ。

扁額
扁額
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とはいえ、ここ大磯の宇賀神さんが興味深い神さまである、という所はゆるがない。それは今に至るもそうである。では、周辺伝承に見るこの土地の蛇神への信仰の痕跡などを紹介しておこう。

まず、大磯の東の端、高麗山はひと目それと分かる円錐形の神奈備型の山であり、古来海上からの目印とされたが、この山には大蛇が棲むと土地の人たちは畏れてきた。そして、その大蛇は秋になると高麗山から白岩神社の背後の山へ移動するのだと語られる[資料3]。秋に見られる稲穂の野分けは大蛇の這った跡だ、などと言われる。白岩神社は宇賀神社の北北西すぐの所に鎮座されているが、もとはその背後の山上にある文字通り「白岩」が海上からの目印とされていての信仰だと思われる[資料4]

そして、大磯の漁師達の間では「蛇と接触があると漁がもたらされる」というモチーフがまま語られる。ある時甕に餌をつんで漁に出たら、途方もない漁があがった。どういうことかと甕を覗くと中に大蛇がとぐろを巻いていた。などという話しが語られるのだ[資料3]。この蛇が「山から海へ流された蛇だ」と伝える話もある。

ある時大変身の長く、目の大きな魚がかかった。奇妙な魚なので持ち帰り、生け簀に放っておいたら大蛇になった。占ってもらうと山の大蛇が海に流されたものだという。魚に化けていたのだが、目だけは化けることが出来なかったのだそうな。蛇を山へ返すと、しばらくその漁師は豊漁に恵まれた。など[資料3]

これらの伝承を繋いでみると、山アテ・蛇神・漁師と豊漁という間には何らかの繋がりがあったのではないかと思われる。さらに、大磯の浜で行われる有名な左義長(どんど焼き)のサイトは、かつては注連縄を蛇状にトグロ巻かせて作ったものだ、とも伝わる。詳しくは稿を改めるが、先の宇賀神社の稲荷講(若衆組)が左義長に見られる子供中の延長と思われる共通する民俗を持っていることも興味深い。

宇賀神社単独でその謎を追うのは難しいが、大磯全体の民俗を解いて行く過程で、自然と明らかになってくるものがあるかもしれない、とも思っている。

なお、あてのない話だが、隣りの二宮町では宇賀神社ではなく六所神社を「ままっ子の神さまだからアタをする」と畏れていた、という話しがある[資料5]。正月祭の際、二宮の子供達はこれを畏れて六所神社の前は駆け抜けたという。はて、さて。

脚注・資料
[資料1]『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁(1981)
[資料2]『新編相模国風土記稿』(天保十二年)
[資料3]『大磯町史8 別編・民俗』大磯町史編さん委員会:編(1956)
[資料4]『大磯の今昔 一』鈴木昇(自家版・1978)
[資料5]『二宮町郷土史』二宮町教育委員会:編(1956)
[資料6]『日本の神々―神社と聖地 11: 関東』谷川健一:編(2000)
[資料7]『蛇』吉野裕子:著 法政大学出版局(1979)
[資料8]『狐』吉野裕子:著 法政大学出版局(1980)
[資料9]『山の神』吉野裕子:著 人文書院(1989)

宇賀神社(中郡大磯町) 2011.09.17

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