手子后神社

索部:常陸神社ノオト:2011.06.03

祭 神:奈美松命
    古津松命
配 祀:倉稲魂命
創 建:不詳
例祭日:旧九月二十九日
社 殿:本殿流造トタン葺方二尺/南向
住 所:石岡市中津川字上ノ宮

『茨城県神社誌』茨城県神社庁

手子后神社
手子后神社
フリー:画像使用W840

石岡の手子后神社に関しては詳しい由緒のようなものはない。『神社誌』にも由緒沿革はない。Googleマップに至っては境内社の梨木稲荷神社(後述)の名があるが、主体の手子后神社の名すらない。

「手子后」の読みについては、大本であろう神栖市の鹿島神宮摂社の手子后神社が「てごさき」である。旧記には「手子崎」等の記述もある。しかし、ここ石岡は茨城県神社庁のExcelデータ上では「てごめじんじゃ」と読みが付されている。

本殿
本殿
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御祭神の奈美松命(男)・古津松命(女)は『常陸国風土記』に見る僮子(うなゐ)の松の男女の名である。神栖の手子后神社の御祭神にならったのだろう。この「手子后神社の祭神」に関しては「鹿島大神の后神・娘神」の可能性があり、別に論じる。

梨木稲荷神社
梨木稲荷神社
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『神社誌』には向って左手の写真の境内社、「梨木稲荷神社」の方が詳しく記載されている。嘉永三年の鎮斎で、神木の梨の木の実を食べると歯痛止に著効ありと信仰されているとある。

素鵞神社
素鵞神社
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また、Googleマップ上は並んで「素鵞神社」の名があるが、上の写真がそうである。しかし『神社誌』の手子后神社の境内社の記載にはなく、他に同地区に素鵞神社の登録もない。委細不明。

社殿脇の石積み
社殿脇の石積み
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この辺りは東国第二の規模を誇る「舟塚山古墳」を擁する古墳群の地であり、ここ手子后神社も前方後円墳であったそうだ。今ではほとんど削られてしまっており、その痕跡はないが。石岡の古墳を解説しているwebサイトページには社殿脇に積まれている石が古墳の石室を構成していた石材ではないかと書かれていたが、上の写真の石がそれだろう。本当にそうなのかは分からない。

参拝記

手子后神社
手子后神社
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手子后神社へは平成二十三年五月九日に参拝した。一日かけて高浜周辺を回ってのラストだった。Googleマップ上になぜか「手子后神社」の記載がないのでやや不安な道行きだったが、ちゃんと主体が手子后神社として鎮座されてましたな。

私がこの手子后神社に注目しているのは「(地元神としての)鹿島神の后神」の神格の可能性がある、ということによる。これは常陸の子安信仰と関係しているのではないかと睨んでいるのだが、『茨城の民俗』など常陸の子安信仰を扱った中にもここ石岡の手子后神社の名は見ない。

境内の石仏
境内の石仏
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そんなわけで、地元の方にお話を伺うことができるかどうかが重要だったのだが、生憎全く人出がない、という次第に終った。周辺の子安信仰のあれこれを調べた後には再訪する必要があるかもしれない。

手子后神社(石岡市) 2011.06.03

常南の参拝神社:

関連ページ:

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石岡市の霞ヶ浦側高浜周辺の神社巡り。東国第二の規模を誇る舟塚山古墳など。
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